2013年12月20日金曜日

宮沢賢治の世界。

こんばんは〜。

今、僕は大阪にいます。


今日の夜、とある方のポエトリーリーディング

『農民芸術概論綱要』

という宮沢賢治の作品を初めて知りました。

彼の作品は

銀河鉄道の夜
注文の多い料理店
クランボン

くらいしか知りません。


では、今日出逢った

『農民芸術概論綱要』の一部を…


世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

(http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html より抜粋)


80年ほど前に宮沢賢治が綴ったもの。

だけど、今に通ずると僕は思います。

彼がどういった人だったのか、どのような観点で物事を捉えていたのか

調べてないのでわからないです。

わからないけど、何か好き。

彼の世界観が好き

僕は好きです。





ポエトリーリーディングの余韻に浸りながら

宮沢賢治を媒体に

「在り方」について少し考えてる。。



「何が本質か」それは立場によって違う。

本当は同じはずなんだけど違う。

だからこそ、今自分がどこにいるのか、何者なのかを把握することが大切だと思う。

この現実世界で生きていくためには。

「今、どこにいるのか」



その問いは自らの在り方に繋がり、その在り方がやり方、場を選択する。

もちろん場から自らの在り方へという流れもあるけど、僕には在り方からが良い気がする。

いくら場が素晴らしくても在り方がなければ、僕は場に洗脳されてしまう。。

染まっちゃう。



とにかく

宮沢賢治さんは僕の世界観を広げそうです。

感謝。有り難うございます。

2013年12月14日土曜日

日常と非日常の境目って何だろう。

久しぶりに投稿してみる。。

今日から月曜日まで福岡です。

初福岡でありまする。

空港と街が近いっていいなぁって思った次第です。

そして…

「カラスの鳴き声」が…

カァ・カァ・カァ・カァ・カァ

でした。

こっち(東京)は

カァー・カァー・カァー

って感じなのですごく面白いです。

たぶん、これは非日常空間に踏み入れたから感じたもの。

もしかしたらこの気付き自体が錯覚で

東京でも「カァ・カァ・カァ」と泣いているかもしれない。

けど、確かに僕はそう感じました。




旅。

旅は心を躍らせますね。

物事の解像度をあげてくれる手段です。

楽しい。


2013年12月2日月曜日

手話って母国語?

今日

有川 浩さんの『レインツリーの国』


という本を読みました。

真ん中の本です。

この本のなかに

「手話は補助言語とは限らないんだよ。」みたいなフレーズが書かれており

ハッとしました。


生まれつき耳が聞こえない人

ある日突然耳が聞こえなくなった人

前者にとって手話とは、第一言語

そして後者にとっての第一言語は日本語


同じ『手話』という言葉で括られていても

その使い方というよりも感覚が違う。


僕にとっての『手話』はあくまでも補助言語です。

そしてどこか遠くの国で使われている言語と同じで自分とは関係のない言語だと思っています。

ただ、それは今の僕の環境での話。

環境は人それぞれ違う。

手話は補助言語ではない人もいる。

そのことに気付かされました。

僕にとっては日本語が母国語で英語が第二言語ですが

ある人にとっては手話が母国語で日本語が第二言語になる。


もちろん本から得たもので、実際のところはわからない。

わからないからし、もしかしたらこの投稿内容を不快に感じる人がいるかもしれない。

けど、僕はこの本を通して

新しい視点を得ることが出来た。

きっと僕にとってそれが必要な視点だったからそのフレーズが心に残ったんだと思う。

常識はひとつじゃないから、それに固執するな、もっと柔軟に

ってことなのかな。



ちなみに

左の本はカフカの『変身』です。

初めて読みました。

何故、読み継がれるのか分かった気がします。

様々な観点や視点を得たい。