2014年1月23日木曜日

習慣となるためには…

毎日コツコツやって習慣化していくって本当に大切だなぁ。

「習慣化」も大切なんだけど、習慣にしていくことで

色んなこと、些細なことに気付くようになる。

そっちの方がもっと大切なような気がする。


部屋や玄関、トイレを毎朝掃除していても


必ず埃やゴミが落ちている。


今までは週に1,2度だったから汚れていても当然、っていう感じだったんだけど


毎朝掃除し出して



毎日部屋や玄関が汚れていて意外だった。


小学生の時の掃除の時にそのことは知ってたんだろうけど


大学生になって改めて知った。


人は自然の中で生きてるんだなぁ、って。


継続することは良いことだけど


それよりも続けられることを続けることの方が大切だと思う。


継続することが目的になるのも何か違うし。


続けれられることをやっていく方が結果続くし、楽しいし!


でも…


習慣はいずれ


どこかのタイミングで


足かせになるから


習慣化しつつそこに依存しない意識を


持って生きたいな。

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この世界は意識したら意識したものが見えてくる


自分が今何を意識しているのかを冷静に見ている自分





意識していること、していないことに関わらずそれ自体を楽しんでいる自分





織り交ぜながらこれからも生きたい。

2014年1月9日木曜日

読書メモをブログに書いてみた。

【上への角度】

『文章』

量化された世界は最低ラインによって明確に線引きがなされている。

『言葉では規定できない』

最高条件を常に目指しているかどうか。

その2つは行動と行為の違いでもある。

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【感性に生きる、知性に生きる】

感性に生きる。

環境と交渉し合うだけでは 、新しい世界は作れない。

今の資本主義経済は、希望を奪い、欲望を与える場所となってしまった。

そして、技術が環境となり主客対立構造が消失していった。

技術が環境となる。

その結果

マニュアル通りに動く技術動物が増えていき

自己を何かに委託し

有り難さがそこから失われていった。

技術が進歩すればするほど、人は有り難さを失っていく。

マニュアル通りに動く技術動物が増えると

他者との対話のプロセスが省略される。

プロセスにこそ思考があることを人は忘れてしまった。

技術は『視覚の目』であり、有限である。

しかし、『意識の目』は無限である。

今、僕らは自分の時間割を作っていかねばならない。

時間を自分の範囲内に置く必要がある。

それは、自分を律することであり

自分の幸せを知的に追求することである。

自立し、幸せを知的に追求することで

人は『自分を持ちながら自分を消す』ことができる。

これは

【究極の自己中】といえる。

自分を愛するように、他人を愛す。

愛する何かに対する気持ちを他者に振り向けていく過程が【生きる意味】であり

他者の喜びを自分の喜びにするために【働く】のである。

人間の心に余裕さえあれば、身の回りには美しいものが数えきれないほどある。

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【友】

希望を与え、師が友となる教育をしていこう。

友というあなたの名誉を誰に与えるのか。

量的“友”が増えていく時代において

あなたにとっての友とは何だろう。