【上への角度】
『文章』
量化された世界は最低ラインによって明確に線引きがなされている。
『言葉では規定できない』
最高条件を常に目指しているかどうか。
その2つは行動と行為の違いでもある。
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【感性に生きる、知性に生きる】
感性に生きる。
環境と交渉し合うだけでは 、新しい世界は作れない。
今の資本主義経済は、希望を奪い、欲望を与える場所となってしまった。
そして、技術が環境となり主客対立構造が消失していった。
技術が環境となる。
その結果
マニュアル通りに動く技術動物が増えていき
自己を何かに委託し
有り難さがそこから失われていった。
技術が進歩すればするほど、人は有り難さを失っていく。
マニュアル通りに動く技術動物が増えると
他者との対話のプロセスが省略される。
プロセスにこそ思考があることを人は忘れてしまった。
技術は『視覚の目』であり、有限である。
しかし、『意識の目』は無限である。
今、僕らは自分の時間割を作っていかねばならない。
時間を自分の範囲内に置く必要がある。
それは、自分を律することであり
自分の幸せを知的に追求することである。
自立し、幸せを知的に追求することで
人は『自分を持ちながら自分を消す』ことができる。
これは
【究極の自己中】といえる。
自分を愛するように、他人を愛す。
愛する何かに対する気持ちを他者に振り向けていく過程が【生きる意味】であり
他者の喜びを自分の喜びにするために【働く】のである。
人間の心に余裕さえあれば、身の回りには美しいものが数えきれないほどある。
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【友】
希望を与え、師が友となる教育をしていこう。
友というあなたの名誉を誰に与えるのか。
量的“友”が増えていく時代において
あなたにとっての友とは何だろう。
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