2014年3月29日土曜日

まじめ = 不まじめ 三性の理

素敵な本屋さんでの学びの会に参加してきました。

何かを探求する人々が辿り着く場所

それが【仏教】

仏教は完璧な思考体系らしいです。



ダライ・ラマは言います。

あらゆる宗教は、同じことを伝えようとしている。それは、愛の優しさ、そして正直さなのだ。

愛の優しさに関してなら何となくであるけれども把握できていました。

しかし

『正直さ』に関しては意外な気付きでした!

つまり

ダライ・ラマは

どんな思想や哲学、宗教、そして優しさや愛でさえ

押し付けられるとそれは障害となる、といいたいのでしょう。

仏教が仮に完璧な思考体系であったとしても

そこにとらわれることは

自身にとっても、また他人にとっても良くないのでしょうね。


さて、仏教が説くものの中に

善・無記・悪の『三性の理』というものがあります。

近代はデカルト以降

物事を2つに分けて考えるようになったと言われています。

つまり

善・悪、幸・不幸、正しい・正しくないなど

しかし

『三性の理』ではそれを明確に否定しています。

しかもそのようなことを

『二見に堕す』とまでいっています。

対立概念の一方を良しとし、もう一方を排除する姿勢はどうか、と。


では

【無記】とは何なのでしょう。

まず、これを実体験をもとに伝えることは難しいです。

何故ならこれを会得するために禅では何年も修行するからです。

そのようなものを修行をしたこともない僕が述べるのですから。。

しかし、今の僕でもそのようなものが存在している

ということを伝えることは出来ると思います。

体験として伝えることは出来なくとも

知っている、ということは大切なことだと思います。



【無記】とは、価値を堕落させたときにそこにあるもの。



図で表すと








.

そして


つまり

善=悪であり、小=大であり、幸=不幸である。

この=を表す言葉として

【即】というものがあります。

般若心経の

色即是空、空即是色の【即】です。

【即】とは上の図でいう【=】

そして

【=】として見たとき

価値が堕落され【無記】となる。


これが今の僕が言葉で表現出来る【三性の理】の限界です。

なので

まじめ=不まじめ

なんです。

では

それの無記とは…




【非まじめ】

今日の学びでした!

ただ、これは意識しないとそういう状態ではいられないですね。

二元論、分けて考える癖が身に付いているので。

日々、精進やー。

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