2014年7月4日金曜日

エリュシオンの野は此処にある

今、京葉線の通勤快速で東京に向かっております。

蘇我駅から新木場駅まで

29分間、11駅もノンストップで驚いています。

昨日は小学中学時代に習っていた合気道の道場を約10年ぶりに訪ねました。

そして、冬季の素足マラソンのルートまで足をのばしたり

九十九里海岸までドライブしたりしました。



さて、

正直であること
素直でいること
本気になること
丁寧に見ること


そして

手放すこと
受け入れること



これらの言葉の真意とは何か

そのことを電車に揺られながら考えています。

どうやら

この子たちの真意と重なるとき

近づくとき

己の状態はものすごく心身ともに軽いみたいです。

肩の力が抜けている状態といっても良いかもしれません。

(何かに集中していて、ふと気付くと肩に力が入り肩が上がっていた、硬直していたことってありませんか。)



話が少し逸れます。

加島祥三さんが書かれた『老師 新訳』という本にざっくりと次のようなニュアンスの文が載っています。

死んだものは硬く、生けるものは水のような軟らかさがある。

さきほどの

手放すこと
受け入れること


きっとこの子たちも

そうなのかもしれません。


つまり

手放すこと
受け入れること


そのどちらも

自分の心が、その現象としての身体

硬直している場合

真のそれではない、と。



少し角度をズラすと

力が抜け、委ねた状態(結果の姿、後から形容する姿)になっているとき

それはそれ自身となり、それ自身で在る。



別の表現をすると

"境界"そのものが宙に浮かんでいる状態になっている。


正直であること
素直でいること
本気になること
丁寧に見ること



今、この瞬間に起こっている感覚や感情を正直につかまえ

素直にそのまま、ありのままを受け入れて

丁寧に意識を向ける

逃げずに、遠ざけずに本気で

そのとき

何か自分にとって大切なものが浮かび上がる。



世界は崩れ落ちず、自分と何か自分なるものが浮上していくしてくる。

これが

手放すこと
受け入れること


を詩的に捉えた姿なのかもしれない。



それをどう作り出すのか

起こるようにするのか

舞い込んでくるのか



それは今の僕にはわからない。

なぜなら

自分が経験したことがないから

ただ追体験をしているというだけなので。



では、今日も一日

心を込めて

ま、いっか

仕方ないなぁ、へへっ

と穏やかに

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