2013年9月13日金曜日

部分的なものの見方。

自身の発信力。
facebookとTwitter、そしてこのブログ
それぞれ違うから面白ーい。



さて

僕のなかにある多次元空間をこの世界で表現するため言語化を試みる。

すると、それは一気に次元を下げ部分的なものになっていく。

「本当はそういうこと言いたいんじゃないんだけどー…」
「あー言葉が見つからないよー…」
「いや、それじゃない…」

自分の至らなさがそれを招いているんだけど、同時に言葉の限界も感じます。
言葉についてはまた今度。


次元。

アインシュタインの言葉に

『我々の直面する重要な問題はその問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない』

っていうものがあるらしいです。

アインシュタインすごいっす。

同じ次元で物事を見てるから

部分的になったり、違いばっかりに目がいったりするんですよね。。

僕らの脳がそうさせているから仕方のないことなんだけど

部分的な世界を全てだと思う人が多いのが少し気になります。

僕らの認識している世界は所詮、部分的なんです。

(紫外線や赤外線まで見れたら何だか忙しそうだなぁ…笑 まぁ、でも慣れるか)


部分的だけど、僕らはその「部分」しか認識出来ない。

《認識出来ない》

ここで分かれる気がします。

《認識出来る世界が全て》と《認識出来ない世界も存在する》に。

どっちも正しいと思うけど

僕はやっぱり後者ですかねー。

厳密にはちょっぴり違うけど、ほぼそれです。


結局、僕らが知覚している世界は

幻覚にすぎないんだろうけど

目の前にしっかりと存在しているから

ちゃんとそれらを意識していきたいですね。


もう現実が全てだ、という次元じゃないと思うんだけどなー。

僕はまだまだアノマリーなんだろうなー。

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