2014年5月28日水曜日

「昼」考えるということ、「夜」考えるということ。

昼と夜

ひとり考え事をしていると

どうしても

昼は明るく

夜は暗く

なってしまいます。

どちらが良いか悪いかという問題ではなく

僕にはそのような傾向があるということです。

なので

夜はどうしても視点が過去に向いてしまいます。

明け方、朝、昼間に色んなことをやり考え

夜はひとりではなく人と語らうのが

僕には合っているのかもしれません。

おやすみなさい。

僕の高校時代。

夜、ひとりで色んなことに触れていると
どうしても気持ちが落ちてしまう。

みんなの輪の中に入れなかったし
入りたいという気持ちがわかなかったあの頃

正直いって
高校の同級生で僕のことを覚えている人なんて
ほんの一握りだと思う。

どう人と会話して良いかわからなかったし
どうやって笑ったら良いのかわからなかった。

ただ、学校に行き、家に帰る日々。
部活は2週間も行かずに幽霊部員。
お昼は一人で食べることが多かったなぁ。

何かに熱中したという思い出がない。
みんな「あの頃に戻りたい」というけれど
僕には「あの頃」というものがない。
【青春】というものが抜け落ちている。

人前で歌うことも出来ないし
現代文の文章を読み上げるだけで緊張する。
ましてや、人の輪に自ら入っていくことなんで出来ない。

卒業アルバムに載せる写真がなかったので
わざわざ写真屋さんに楽しそうにしている写真を撮ってもらったくらい。

僕はもともと根が暗くて人見知り。
話しかけられてもろくに返事も出来ない。

「友達と遊ぶ」
というごく普通の高校生活を送ることがほとんどなかった。

人がたくさんいるとどうしてよいかわからなくなる。
わからなくなるから、あえて反対側を選んだり
クールなキャラクターを演じてみたり。

僕はずーっと
「森君」って呼ばれ続けてきた。
中にはあだ名や呼び捨てで呼んでくれる人もいたけど
僕が仲が良いと思っていた人でさえ
僕のことを「森君」と呼んでいた。

きっと、僕はたくさんの人に気を遣わせていたのだろう。
「森君」と呼ばれ続けた僕は苦しかった。
なんで僕だけ「君」って呼ばれなきゃいけないんだろう…と。

過去はもうやり直せない。
昔は高校時代をやり直したいとか思っていたけど
今はもう、そのようなことを思っていない。

ただ…学生の人には言いたい。
悔いが残らないといことはないかもしれないけど
悔いのない学生生活を送ってほしい。
二度とないその青春を。
今という時間を精一杯生きてほしい。

今、高校時代を振り返ってみてどう思うか。
と問われたら、どう答えるのだろう…。

わからないなぁ。複雑。
あの頃があったから僕は今、僕の世界を信じることが出来ているのだろうし。
でも、、、ほんのちょっとだけでいいから
【高校生】という時間を味わいたかったなぁ。

人の輪に入れなかったという経験が
僕の中で【無視】という存在としてある。
それが今の僕の世界観に繋がっていると思う。

疎外感という感覚は本当に虚しい。

おやすみなさいZzz…

2014年5月27日火曜日

量子論

「量子論」って

最近、何かと話題ですよね。

量子論のそれ



東洋のそれ

面白いです。

真実はどこにあるのだろうか~

どのような真実であれ


僕は僕の状態に合ったアプローチをしていきたいな。

強制のない

それを。

あの法則。

僕は

引き寄せの法則について

あるだろうなぁ

とは思っていますが

信じているかって問われたら

『うーん、どうだろう…』

っていう感じです。

先日読んだ

「なぜ、あの人にばかり奇跡が起きるのか?」

という本は

その引き寄せの法則について

書かれている本です。

の法則を信じる信じないは

個人にゆだねるとして

この本に書かれている内容は

自分の感情と向き合う上で

示唆にとんでいると思います。

感情をどう捉え

感情とどう向き合うのか

良い道具のひとつになると思います。

テレビを見ていて

事件等が起きた際

マスコミは

その人の両親や出身地を訪れ

インタビューをしていますが

あれってどこから

出身地や住所を見つけ出しているんでしょうね。

いつも不思議に思います。

あと…

卒業文集を公開する

という行為にはどういった意味が

あるのでしょうか。


2014年5月26日月曜日

お風呂での時間。

僕は湯船に浸かることが大好きです。

湯船に顔まで浸かり

鼻と口だけを出し
(息を出来るように)

全身を水に委ね

考え事をしたり

ホ・オポノポノをしています。

・ありがとう
・愛しています
・許してください
・ごめんなさい

と繰り返し口にする。

・有り難う

と言っていることが多いような気がします。

別にホ・オポノポノを行なったところで

何がどう変わるというわけではありません。

強いて言うなら

心の持ちように変化が起こるくらいでしょう。

でも

気持ちが良いです。

結果的に何かが変わるということがあるかもしれませんが。


そうそう

湯船に浸かり

水に身を委ねると

何だかとても落ち着くのです。

安心感があります。

きっと

僕の何かが水のそれと共鳴しているのでしょうね。


お母さんのお腹の中

って

こんな感じなんでしょうか。

笑笑笑

『一見』という言葉から、生きることについて少し考えてみた。

今朝、読んでいた本に

『一見すると…』という記述がありました。

その言葉が、今日はなぜか心に残り

そこから

考えをぐるぐると巡らせました。

その過程をメモしたので

それを書きます。

===============

『一見』

この言葉がどこでどのようにして生まれたのか僕は知らない。
ただ…『一見』という概念を、言葉にした人の感性に深く深く尊敬の念を抱く。

そう、物事は、世界は「一見すると…○○のようだ。」ということに満ちている。
この『一見』の先にある“何か”について、思考をめぐらせる人、めぐらせている人
そういった人が、きっとこの世の中に新たな価値、世界の見方を提示していくのだろう。

人間のエゴ、お金という指標、正義という悪魔により進歩してきた現代。
その現代社会において生まれた問題を解決、解消する手だてはどこにあるのだろうか。
色々なやり方があると思うが、僕は“根源”というものが
ひとつのキーワードになってくると思う。

その“根源”という問いを自らに向ける。

“根源”とは『一見』の先にあるもの。
『一見』という皮の下に漂っているもの。

“根源”は“そもそも”という言葉で言い換えることもできる。
そして“根源”へと続く道のりは“進化”とも言えるだろう。

ここで『進歩』と“進化”の違いについて少し共有します。


以前、ブログにも載せた画像です。

『進歩』とは人間の意図により歩む道
それは“自然の法則”に沿わない道でもある。
しかし、便利で効率的な道でもある。


今、これからの時代に求められる道程の切り口は
おそらく“根源”、“そもそも”、“退歩”
そして“自然法則”であると思う。

だからこそ、今、僕は自身の“在り方”というものに
目の前の人の“在り方”というものに
先達の“在り方”に興味がある。

“在り方”は自らの意志のようなもの。
“生き方”は他者からみたその人の“在り方”のかたち。
と僕は定義と言ったら強いけど、そう理解している。

○●今、僕が興味あるもの○●
・初期仏教
・先住民の世界観、哲学
・陰陽五行
・禅、武士道
・アミニズム
・旧暦
・三島由紀夫
・自然
・発酵
・言葉
・パーマカルチャー

その上で
自分が世界をどう見るのか、見ているのかを知り
どういった視点で世界を見ていくのかを選択すればいい。

「押しつけ」は対立を生む。
例え、その「押しつけ」が真実であろうと。

自らの頭で考えていけば、自ずと“それ”はやってくる。

“矛盾”を抱え、“孤独”を抱き、その上で人と関わり
自らの世界を“在り方”を通して形作っていけば良いと思う。

もちろん、夢から“生きる”ことも良いと思う。
けど、僕は“在り方”からの生き方を選ぶ。

○●今、僕が興味のある言葉○●
・矛盾
・孤独
・「自ら」と「自ずから」
・諦め
・希望
・情熱
・退歩
・進化
・根源

===============

こんな感じです。
メモを若干読みやすいように変えていますが
語感はそんなに変わっていないと思います。

ここに書かれたメモを僕自身
もう少し深く見つめてみたいと思います。

街が動き出す頃

街が動き始める7:00頃

その頃に

カフェに入り1,2時間

本を読んだり

考え事したり

するのが好きです。

.

今朝は

4時前に目が覚めたので

1日がいつもより豊かな気がします。

4時過ぎから2,30分 坐禅

そのあと

屋上で日の出を向かえ

5時前から家の掃除

洗濯

そして

シャワーを浴び

朝食を食べ

6時。

ゆったりとし

ひと駅先まで歩いて電車に乗り


カフェに入る。

今朝はこんな感じでした。

今朝の坐禅

座布に坐り

坐禅を今日はしました。

まだ朝5時前ということで

鳥や虫の鳴き声がよく聞こえます。

この音は

昼間、僕の耳にあまり入ってこないものです。


昼間、車の音がうるさいから

聞こえないのだろう、と

思いました。

でも

きっとそうではなく

音はある

けど

僕の意識がそこに合わせていない

ということなのかも

しれません。

もしかしたら昼間

鳴いていないのかもしれないけど笑


どこに自分の意識を合わせていくのか

改めて

そのことの重要性に気付かされました。

朝の瞑想、坐禅の時間は

とても豊かな時間ですね。

夜にやるそれより

僕は好きです。

一日がより満たされます。

早起きすると得した気分にもなりますし笑

境目

朝と夜の

境目

好きだなぁ。

有り難う!

目覚め。夢。

おはようございます。

最近

この時間帯に

目が覚めることが増えてきました。


寝るのが早い日は

起きるのも早いですね。


そうそう今日は

変な夢を見ました。

変な夢というよりも

嫌な夢とでもいうのでしょうか。

今、住んでいるところ

昔、住んでいたところ

逃げ

息をひそめる

小さい頃の友人

テレビでしか見たことのない人

様々な人や場所が登場し

それを俯瞰してみているのではなく

主人公の視点で体験していました。


夢に具体性、感覚、息づかいを感じたりすることは

そう多くはないのですが

今日はそんな感じの夢でした。


うーん

なんだったんだろう…。


今日も一日楽しく!

2014年5月25日日曜日

僕の好きな歌。

Nat King Cole

『L-O-V-E』


僕の好きな歌のひとつ

優しい

温かい

最近

日本語で歌っている

L-O-V-E

があることを

知った。

日本語verも気持ちがいい






僕は字が好きだ。


自分が書いた字

他の人が書いた字

その人のクセが

感じられる。

その文字を書いた時の想いを

感じることが出来る。


最近

筆ペンやボールペンで

書いた手紙を

カメラで撮り

SNSのメッセージに添付している。


いつもそれじゃ大変だけど

でも

そういったかたちの融合もあると思う。


文字はその人を浮かび上がらせる。

不思議な感覚、静止画と音、そして風

今朝は瞑想というより坐禅をしました。

半眼というものが坐禅のひとつの特徴だと思います。

坐禅をしているなかで

今朝、世界が一枚の写真のようになり

小鳥の鳴き声が僕の内面から湧いて出てくるような感覚に包まれました。

とても不思議な感覚でした。

世界そのものが静止画となり

音、それ自体が自身の内面から湧いてくる。

けれども

風、それは僕の外を吹いている。

とても不思議な感覚。

なんだろう。


本当の僕

今、世界で起きている問題の根源にある問題

僕の在り方に名前を


というもの、それ自身が教えてくれるもの

その答えを僕は求めているのだろうか

だとしたら

やはり

僕は、言葉という存在を身近に感じ

それを用いて

僕を、僕自身の気配を感じたい。

あらわしたい。


まだ、少し頭が回らない。

文章にまとまりがないような気がするけど

今、この瞬間の妙な感覚を

この状態を記録。


ぐるりと世界はまわる

僕もまわる


では、また

日の出

おはようございます!

今朝は

なぜか

こんなにも早くに起きてしまいました。

まだ街は静かです。


少し考え事をして

瞑想をしてみようと思います。

久しぶりに

少し遠くまでお散歩も!


それでは

今日も素敵な一日を!

2014年5月24日土曜日

パズルのピース

僕が世界のピースなのか
世界が僕のピースなのか

僕というピースが世界を浮かび上がらせるのか
世界というピースが僕を浮かび上がらせるのか

僕が凸で、世界が凹なのか
世界が凸で、僕が凹なのか

世界が凸という視点
僕にはなかった

その一言が
深く深く
僕をゆさぶる


凸であり
凹であり
そのどちらでもない
そして
そのどちらでもある

それでいい
それがいい

僕の惹かれる人

糸井重里さんの本

『ボールのようなことば。』

に心に響く世界があった。

.
ひとりでいるときの顔が想像できる人と、
ひとりでいるときの顔が想像できない人とがいる。
ひとりでいるときの顔が、想像できない人とは、
どうにも仲よくなれそうにない。

個であること、孤であることから
逃げないで生きる人の姿というものには、
厳しい美しさがある。

そして、そのうえで、だ。
そしてそのうえで、
ひとりを怖れない人が、
人々の情けを感じるということがすばらしい。
ひとりを怖れない人が、
他のひとりの役に立とうと、走る姿は美しい。

Only is not Lonely.
ひとりであるということは、孤独を意味しない。
ひとりを怖れない者どうしが、
助けたり助けられたりしながら、
生き生きとした日々が送れるなら、
それがいちばんいいと思う。



この言葉に触れたとき

僕の心が揺れました。


ひとりを生きる



ひとりで生きる

は違う。

僕は孤独だけど

人が恋しい。


わかるひと、わかります。

それで良いんですよね。

きっと。。

有り難うございます。



小鳥のさえずり

おはようございます。

昨日は

身体を使っていたみたいです。

今朝、起きると

身体が少し重いです。。笑


今日は天気が良いですね!

窓を開けると小鳥が鳴いていました。

街が動き出す前

東京でも

自然の音が聞こえます。

日中は

耳を傾けないと聴こえませんが。

2014年5月23日金曜日

氏神さま

今朝、病院に向かう途中

紫陽花を見かけました。

すると

次々に

お花や草、木々が目に入り

小さい頃

嫌な目で見ていたドクダミも

いとおしく思えました。

そして

空を見上げると…

アレッ

もしやあれは

『ケムケムさんやなかーい。』

ってなりました。

ケムケムさんとは

いわゆる

ケ ム ト レ イ ル

です。

そうです。

トンデモ、陰謀と

言われているアレです。

真実は別に僕はどちらでも

良いのですが

"他の視点"を知る

という見方が出来るので

有り難い存在です。

でも

あれは普通の飛行機雲かもなぁ。笑

そして

氏神さまへ日頃の感謝を伝え

街へ繰り出しました。

2014年5月22日木曜日

根津、千駄木

今日は

往来堂書店に行き

文庫本葉書ともうひとつ本を買いました。

そのあと

根津神社に行きました。

やはり根津神社は

とても居心地の良い空間ですね。

そこで

文庫本葉書をあけました。

「人間の建設」小林秀雄、岡潔

うーん、これは

普段の僕では手にとらない本だなぁ。

やっぱ

こういった偶然の出逢い

大切ですね(^^)

2014年5月21日水曜日

その先にある光

有り難う

本当に有り難う

あなたの輝き

あなたのゆらめき

あなたの生き方


僕は救われました。


大丈夫

きっと大丈夫

大丈夫だから。


ごめんね

強がんなくていいんだよ

もう十分

君は孤独を味わった。

苦しんだ。

だからもう

大丈夫だよ。

怖がらなくていいんだよ。

きっと

いつか

君を、君の全てを理会し

包み込んでくれる何かが

現れるから。


苦しい

苦しいのはわかる

踏み出せない

踏み出せないのはわかる


君は大丈夫

もう大丈夫

しっかりと生きな

必ずその全てを受け止めてくれる

何かが現れるから


誰にも言えない

深い闇を受け止めてくれる

あなたに出会えるから


僕は僕を愛します。

有り難う。

自分らしさって

自分らしさって

きっと

自分じゃ絶対にわからないものだと思う。



自分らしさは自分の中にはない

たぶんこれが

僕の肌感覚に近い表現。



だから

自分らしく生きようと思っているうちは

自分らしくないと思う。


人に

「●●らしいねぇ」とか

言われる経験を積んで

感覚的に

あー、これ自分らしいかも

って気付くことはあると思う。

でもそれは

自分の中に

他人の思考が入っているからこその気付き。

だから

自分らしさは自分の中にはないよ。

結果として自分らしさは自分の中にあるけど

それはあくまで結果であって

はじまりではない。



どう在りたいか

というものは

自分らしさというものに

最も近い

自分自身。

だけど

それは

近いだけで

決して自分らしさではない。

それは

らしさではなく

その人自身

その人が抱えているもの

だから


その人らしさは

その人の思考から離れたところに存在する。


ただ

その人が限りなく広い客観視が出来る人であれば

話は少しずつズレていくけど

そういう人は多くない(はず)。


だから

自分らしく生きる必要はない。

後々

あー、これ自分らしいな

って色んなものを通して気付くくらいが

傷つかなくてちょうど良いと思う。


どう在りたいか

それが自分ができる精一杯の「自分」らしさ

在り方自分らしさ

出発点も到達点も違うけど

混ざり合う要素は大きいと思う。


とにかく

自分らしく生きよう

なんて

考えに

支配されなくていいよ。

人によっては苦しむだけだから。

それで苦しまない人が

苦しまない時に

その選択をすればいいだけ。


何だか難しい

らしさ

他人に任せて

自分にとって違和感の少ない生き方をすればいいと思う。

僕は自然体に。

(こんなこと言っているけど、僕は別にこの意見に捉われてないし捉われたくもない。。といっている自分にも捉われたくない。。。これがエンドレスに続く感じ。。。。という自分を肯定する自分にも捉われたくない。。。。。うひょ…笑)

ポジティブについて

『前向きに生きよう』

『プラス思考でいこう』

『感謝できることを見つけよう』

どれも

良いのですが

人はきっと

そう言われても

『でも・・・』という時期があると思います。

そういう時は

無理にポジティブにならなくても良いと僕は思います。

だって

自分に嘘をついてまで

明るくする必要ないじゃん。

そもそもその一言で

すぐにポジティブになってしまう悩みだとしたら

それは

大したものじゃないと思います。

もちろん

その時は大したものだろうけれども…。


それに

本当に

前向きな時って

『自分は前向きだ』

とかそういったことを

意識してないと思います。

というか

そんな必要ないと思います。


あと

本当に前向きだとしたら

努力するとか

前向きに生きよう

そういったような言葉が

付随してくることもないはずです。

前向きに努力する

前向きに生きる

という時点でそもそも前向きじゃないし。

前を向く、向こうとしているときではあると思うけど。



思うに

本当に前向きだとしたら

何もしない

何をしなくても大丈夫

何を言われても大丈夫

っていう状態になってると思う。

だって

前向きってそれくらい

どーんとしてないと

前向きじゃないでしょ。


うーん

前向きの定義とポジティブの定義と

自由の定義がごちゃごちゃになってきた笑笑


はい、メモでした〜。

考えない、ということ

人は一日に15万回ほど選択をしている

と、どこかで読んだ記憶があります。

数字がそれだったか定かではないです。

毎瞬毎瞬

アレをやる、コレをやる

アレをしない、コレをしない

ということを意識、無意識に関係なくやっているとすれば

自然と15万回くらいいくのでしょうね。


さて、

人は『考える』ことから

離れることが出来るのでしょうか。


僕は

瞑想をしていますが

瞑想をしていると

いかに自分が考えているか

そのことに驚きます。

考えない

という瞬間が今はたぶん

ほんの一瞬あるかないか

という感じです。

そのほんの一瞬を

ちょっとずつちょっとずつ

増やしていきたいです。


人が

何をしてきたか

ということも大事ですけど

何をしてこなかったか

何をしないと決めたか

そのことを

知るのも大切なことだと思います。

する、してきたというポジティプな面だけではなく

しない、やめたという一見ネガティブに見える面にも

その人の香りがあると思います。


今日は雨です。

そして

今日から二十四節気でいう

小満です。

陽気の兆しが徐々に

兆しを超え

草木が満ち始めるころ。

素敵な小満の15日間になりますように


今日も楽しく。

2014年5月20日火曜日

突きつけられる現実

世界というものに対し

様々な解釈が出来る。

世界は3次元である。

世界は3次元を超える。

平行世界がある。

世界は自分が作っている。

人は自分の望む世界しか見ることができない。

運命のもと生きるしかない。

宿命を抱え生きる。

世界は愛に溢れている。

世界は絶望に満ちている。

世界の本質はゆらぎである。

そのどれもが

僕は正しいと思う。

その上で叫びたい。

僕が生きるのは

今、この瞬間である

と。



毎日

お見舞いに行っていると

本当に色んなことを考える。

僕は

おばあちゃん子だ。


小さい頃

とある理由で

僕は祖父母に育てられた。


現実というものは

現実であり虚構でもある。

しかし

改めて言う。

僕が真に生きる場は

この世界である、と。

同時に僕は僕自身の世界を生きているけど

今は

この世界というものを

深く深く噛み締めたい。



小さい頃の

学生時代の

深い喪失感

孤独を思い出すと

今でも

刃物を自分へ向けたくなる。


あの日

僕は

死ぬことが出来なかった。

生きたいから生きているという感覚は

最近までなかった。

ただ僕は死ななかっただけだ。

死ねなかっただけだ。

自分を傷付けることの愚かさ

死ぬことから逃げたことに対するやりきれなさ

僕は人が思うほど

強くない。


今でもたまに

あの頃の感情が僕を苦しめる。

それでも

僕は生きようと思う。

人は温かい。

有り難い。

嫉妬したりしちゃうけど

その人たちがいなければ

僕は生きることを放棄していた。


だから

本当に本当に

感謝している。



病院の雰囲気が僕は怖い。

それでも

僕は毎日通う。

僕にとって



生きるとは

そういうことだ。

思考の外の自分にとって生きるとは

根源からの欲求とは

そういうことだ。

スティル・ライフ、雪の描写が美しい

この本に出会ったのは

海猫沢めろんさんの

『頑張って生きるのが嫌な人のための本』

を読んだからです。

最後の方に

スティル・ライフの引用が出てきて

そこに書かれていた言葉が

僕に刺さりました。

−−−この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
(略)
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ、
たとえば、星を見るとかして。−−−

なんと

美しい描写なのだろう…。

一瞬で

心が引き込まれ

気付いたら書店に足を運んでいました。


スティル・ライフ

雪の描写が素晴らしい。

−−−雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。−−−


人と人は

どのようにして

わかり合うのだろう。

そもそも

わかり合う必要があるのかどうか

この作品に触れているとわからなくなる。


言葉に依らない関係性

というものが

あるのかもしれない。


言葉の美しさを

著者の感性の豊かさを感じた作品でした


エディプスの恋人

エディプスの恋人

という本を読んだ。

数ヶ月前

往来堂書店で購入したはいいものの

読まずに本棚にあったもの。


筒井康隆さんの本

エディプスの恋人

どうやら

七瀬三部作の最後らしい。

三部作なるものを

一度も読んだことがないので

それを知りなんだか

変な感じがした。


『エディプスの恋人』

"意志"とは何か

『瑠璃色の涙』

それと同じ

それ以上の

感覚に支配される。

僕が"知っている"けど

"知らない"ことが

そこにはあった。

だた

『瑠璃色の涙』と違うのは

"虚構の圧倒的現実性"だと思う。

今、このタイミングで

この本を読んだ

ということに

必ず何らかの

意志があると

感じちゃう僕でした。

ありのままを疑う。

ありのままに生きること



それを表現すること

は違う。

表現は

直球に少し変化を加えるのが面白い。

僕と俺

おはようございます!

僕は

俺になれなかった。

今から俺になるつもりはないよ。

僕は僕で

そして

僕は自分で

いこうと思うんだ。

思えば小学生の時

みんなが

『俺』になっていった。

あれから10数年

僕は未だに僕。

たまに自分。

中学生のとき

迷いに迷って

僕は『おいら』になった。

けど

違和感だらけで

おいらは『僕』になった。

それからずっと

僕は僕。

いいの

きっと

これから

僕、僕らが世界を救うから(笑)

2014年5月19日月曜日

自分の限界

やっぱり

人には

限界というものが存在すると思う。

もちろん

数年後

今の自分とは全く違う自分になることは出来るし

思いもよらない人生を送ることは出来る。

というか

その方が多いと思う。

けどやっぱり

僕は

人には

ひとりひとり

違う限界というものがあると思う。

どんなにあがいても

絶対に超えることのできない

限界。


その限界の存在を知り

諦めるか

それでも

果敢に挑むか

その違いは大きいと思う。


僕の限界は…

おやすみなさいZzz…

果たして僕は真に【矛盾】を愛することが出来るか

【矛盾】

最近

矛盾を愛することができるか

という問いが

僕の思考の一部に存在し続けている。

結論から

先に言うと

僕は

矛盾を愛することが出来る人が孤独を抱え

ありのままを生きることができると考える。


もちろん

それ以外にも

そこに到達することは可能だし

そもそもそこを目指す必要はない。

でも僕は

言葉について常日頃考えているから

言葉の観点からこの問いについて向き合いたい。


なぜ

現代社会は矛盾を嫌悪するのか。

私見だが

矛盾というものは

合理的でないし効率的ではないから嫌悪される。

そして

矛盾を解消、超えるためには

思考しなければならない

つまり

自らに依る必要がある。

これは

現代の教育方針とは袂を分かつ。

答えのない

いわば

自ら答えを求め

自ずから答えを得る

そのことを現代の教育は求めない。

思考しない人間は

支配者にとって都合が良い。

資本主義社会において

都合の良いニンゲンが生まれることは

ある世界の人にとっては嬉しい。


現代

矛盾というものは

反対の意味で神話化され

否定されてきた。

しかし

僕は思う。

現代が抱える問題を止揚させるためには

矛盾を抱く必要があると。

そしてそのためには

【言葉】に含蓄される【動き】というものを

意識する必要がある。


日本語には言霊というものがある。

これは

日本人が言葉というものに

“生”を感じていなければ

生まれてこない発想である。

違った表現をすると

何ものかの“息づかい”を感じているからこそ

生まれてくる発想である。


言葉というものは

境界線を創り出す作業でもある。

それは

結果として違いを強調する。

今は違いを強調するあまり

本来の境界線から意味が離れ

それが囲いの域まで達してしまった。

言葉とは、境界線とは何か

今一度考える必要がある。


そもそも言葉とは

動的な何かに対し

ゆるやかな生け垣を敷くものではないか。

動的なものがいつしか

静的なものに変化していった。

そのどちらも

言葉には必要だ。

しかし

今は明らかに

一方に偏っている。

偏りが常なるものになるのは

恐ろしい。

ゆらぎがあっての物事ではないのか。



人は戸惑う。

正反対のことが

世の中では主張される。

どれもそれらしい根拠とともに。


人は

敵を見出すことを通じ

自らの群れを認識することがある。

自分とは違うもの。

自分と同じもの。

これは

いわゆる

二元論だ。


二元論は世界を飛躍的に進歩させた。

しかし

それは進歩であり

進化ではない。

進歩は矛盾を肯定しない。

なぜなら

目に見えるもの、物質的なものが

進歩にとって第一義だからである。


では

進化はどうか。

進化は自然の摂理というものの中で

発展していく

いわゆる

大いなるもの

イメージをしている。


デカルトに端を発する二元論的思考は

確かに

社会を身体面で大きく進歩させた。

しかし

一方を良しとする思考は

根本からの対立を生んだ。

戦争が【正義】のもと

行なわれるのが良い例だ。



今こそ

僕は言いたい。

『矛盾を愛そう』と。

『言葉には“動き”がある』と。

『二元論は限界だ』と。


そして

僕は思う。

このような発言をしていてアレだが

僕自身

自らの思考に捕われては意味がない、と。

信じて疑う。

これこそが

ヘーゲルの弁証法の真意であり

田坂広志さんがよく引用する螺旋的発展の法則であり

仏教のいう三性の理である、と。

自らに依り、自らを自ずから疑い、そして信ずる。


自分のなかにある【矛盾】を否定することは避けたい。

相反する感情があって当然ではないのか。

僕は人だ。

そんな自分と向き合ってこそ

人は孤独を抱え

人と繋がれるのではないだろうか。


よくわかんないことになった。

とにかく

ひとつだけ。

矛盾あっての自然体だ。



自己正当化(笑)

だから僕は

アナログもデジタルも

不便も便利も

出る杭も出ない杭も

思考も行動も

やれ、やめろも

全て

OK牧場と

言えるようになりたい←

そもそも孤独を愛する必要の可否についてもあるけど

それは置いといて…笑


我唯足知

ってまだまだ先やなぁ。。笑

初夏の鎌倉便り

こんにちは〜

今日は

いつもより早く目覚めたので

鎌倉に行きました。

北鎌倉で下車

スターバックスコーヒー鎌倉御成町店を

目指します。

スタバに着くと

いつも通り

抹茶ティーラテ・トールサイズを注文

そして

いつもと同じ席に座り

本を読み



そして

【物語】

【矛盾】

について考える。

店内が混んできたので

イヤホンをし528Hzの音楽を聴きながら

ペンを走らせる。

少し

ぼーっとして

店を出る。

今日は気分的に

海な感じだったので

由比ケ浜をとりあえず

目指す。

途中、このような景色に出会う。

でも

適当にぶらぶらしていたので

ここがどこだかわからない笑


このような光景をよく見かけるのだけど
この石にはどのような意味があるのだろう。


やっぱ小径はうきうきわくわくしますね!


これは人工的に植えられたものなのか
それとも自然に発生したものなのか
そのどちらでもあるのか
どちらでもないのか
疑問に思いパシリ


そして


由比ケ浜に到着。

ここでは

しばらくの間

ぼーっとしていました。

外房の海を見て育った僕としては

ここから見える海は

穏やかです。

海を見たからには

山へ行こう

ということで

まずは鎌倉駅へ戻ることに。

そしたら

駅周辺は人で溢れていて

一気に現実感を帯びてきたので

人ごみを避けるように

北鎌倉(だと思われる)の方へ

てくてく歩く。

亀ケ谷坂というところを抜けると

建長寺という看板が目に入る。

そういえば一度も訪れたことがない…。

というわけで

行ってみた。


緑と空がいい感じです。


蘭渓道隆(だったかな)が作ったお庭


名前忘れたけど、なんとか院へと続く道


半僧坊へと続く道の途中に出会った子


思わずパシリ


半僧坊、建長寺裏山から
富士山がこの先に現れる日もあるらしい


正統院(だったかな…)


そして

円覚寺へと向かう。

その途中

偶然見つけたお店

喫茶ミンカ

素敵です。

ひっそりと佇んでいました。



そして

お昼過ぎに東京へと戻ったとさ。

体と魂

利便さは

体を運ぶが

魂はおいてけぼりに。

時にはゆっくりと

体と魂を共に

運ぶときが必要だと思う。

僕は

利便性も

不便も

好きです。

どちらか

一方を是とし

どちらか

一方を非とする

思考は苦手です。

どちらもあるから

螺旋を登り

次へと行ける。

雲さん

おはようぎざます(^^)

今朝は

曇りですね!

晴れの一休み

といった感じでしょうか!

昼間は晴れるのかな。

今日も一日楽しく。

夜の気配

こんばんは~

今日は

身体を使いました~。

ふくらはぎが痛いでやんす。

23時過ぎに家に着いて

部屋に入って窓を開けると

そこには

お月様が

いました。

またまた

昨日より

低い位置にそれはあり

そして

より

東側にありました。

少しだけ瞑想して

寝ます。

おやすみなさい(-.-)Zzz・・・・

と思ったら

MUSIC JAPANに

SexyZoneがでることを

知ってしまった。。

録画した。

おやすみなさい(-.-)Zzz・・・・

2014年5月18日日曜日

気取ってエッセイ

【光と風の音。】

僕は

ゆらめきながら

あなたに近付いた。

僕がゆらめくと

小さな風が起こる。

その風が

あなたを包む

小さな春の風に

なると僕は嬉しい。

お日様に負ける僕が

現れるのは

明け方と夕方

その頃、吹く風は

僕のあるがままの姿。

あなたは光を編み

僕は風を紡ぐ

あの香りを乗せながら

幸せっていう言葉がなければなぁ。

幸せ

っていう

概念がなければ

不幸せ

っていう

概念もなかったのかな。

そういう世界は

きっと

今の価値観からいうと

良くも悪くも


の世界になるんだろうなぁ。

でも

僕は

その世界を見てみたいかも。

あるがままの

ありのままの

自然体の

世界を。

お月様

今夜のお月様も

綺麗ですね。

都内

星もたくさん見えます。

昨日と比べたら位置が低くて

部屋に差し込む

月明かり



まばゆいです。

腹式呼吸

おやすみなさい(-.-)Zzz・・・・

2014年5月17日土曜日

てくてくと

今日は

歩いた。

半分

散歩のようなもので

あとの半分は

群衆の歩き。

確か須藤元気さんだったと思うが

50分歩けば、大抵の悩みはどうでもよくなる。

といったようなことを言っていた。

おそらく

ある意味で

瞑想状態になるのだと思う。

僕は散歩が好きだ。

目的地のイメージを持って

あとは

直感に従い適当に歩く。

慣れてくると

行き止まりの道

というものが

わかってくるから面白い。

深い意味もなく僕は歩く、ひたすら歩く。



粋と野暮

江戸の言葉に

"粋"と"野暮"

というものがあります。

これは

言葉では説明できるものではなく

書物や人から

感じ取るようなものだと思います。

先日、歩いていたら

ある看板を見かけました。

これは

"粋"と銘打っているので

僕は"野暮"だと思います。

思うに

"粋"とは

説明するようなものでもないし

できるようなものでもない。

ということは

つまり

この文章自体が"野暮"

うひょひょ。

最後に

目に留まった看板を。

これです。

エッセイ

最近

エッセイ

というものを

気付いたら読んでいることが多い。

おそらく

書いた人が

僕の目の前に

登場してくる感覚が

好きなんだろうなぁ。

勝手に脳内で友達になっている

みたいな!

僕もだらだらと

書いてみようかなぁ。

空が、緑が気持ち良い~

今日は

ものすごく気持ち良いですね!

さいこー\(^o^)/

自然と緑と青に目が奪われてしまう。

この風が

運んできてくれるものは

何だろう!

うきうき

光と影の境目。

おはようございます。

今朝は

5時10分頃に

目が覚めました。

もう既に

太陽さんは

上がってて

日の出の早さを痛感してます。

でも

まだ

夏とは違い

この時間は

風が涼しくて

空気感が

優しくて

好きです。

夜と朝の境目

夕方と夜の境目

その時間帯の

雰囲気が

僕は

とっても好きです(^^)

癒されます!


それでは今日も一日楽しく!!

月が綺麗ですね。

I LOVE YOU.



月が綺麗ですね。



訳したのは

夏目漱石

今夜の月も綺麗ですね。

満月の次の日

月明かりの下

少し

瞑想して

おやすみなさい(-.-)Zzz・・・・

2014年5月16日金曜日

妄想世界をつくる。

自分の感性で空間をつくる。

そこに常識というものは

存在しない。

否定されようが

僕は僕の信ずるものを信じ切る。

この人生

僕が主役。

と同時に

脇役。

1つくらい

僕が主役の人生があってもいいと思う。

人は思うほど

見てないし

責任をとってくれない。

すべては

自分に収斂する。

何が僕であるか。

僕が何であるか

ではなく

何が僕であるか

それが

大事。

わかりやすさを追求すると

本当に伝えたいこと

具体的になりすぎたり

分かりやすすぎたりすると

何だか

伝わらなくなってしまう

そんな気がする。

流行りじゃないけど

いわゆる

ノンバーバルな面

それが

わかりやすさ

とともに

薄れていってしまうような気がして。

ちょうど良い

塩梅

というのが

どこなのか

人によって違うから

簡単ではないけど

だからこそ

面白いんだろうあぁ。

何て言うのかな

たぶんだけど

伝えたいイメージの

気配のような

ものを

感じ取ってもらえるような

在り方が

人との関係性において

理想に近い

気がする。

先にある世界。

数日かけて

読んでいる本に

『フルサトをつくる―帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方―』

という本があります。

僕の頭のなかに漠然と

存在している何かを

既に実践し

本にまとめている人がいる

ということは

どこかで

僕は

その人たちに

引っ張られている部分もあるのだろう。

まだ

途中なので

考察は

読み終えてからしたいと思うけど

文字がすーっと入ってくる箇所と

全く受け付けない箇所がある

僕の準備がまだできていない

もしくは

意識が集中していない

ということ

なのかな。

心に火を。

【レールの上をどこまでも行く】電車の運転士編

『敷かれたレールの上の人生なんて!という台詞を、テレビドラマとか漫画とかでよく見聞きする。
実際に敷かれたレールの上で仕事をしていると、そこに人として生きていくヒントを得ることがある。
急ぎすぎてはいけない。
遅すぎてもいけない。
決められた速度で、決められた場所に停まるのは案外難しい。
一秒という時間を感じ、今日という一日を大切いする。
一両一両、電車がつながっているように、人と人とのつながりを感じられるんだ。』


【あとがきにかえて】編集者編

「人は、なぜ働くのか?」

日常のあらゆる分野でIT化が進み、私たちの生活は便利になり、 豊かになり、カンタンに世界とつながるようになりました。 しかし、期待されていたような時間的な余裕が生活の中に 生まれることはなく、むしろ、以前に比べて、社会は猛烈に 忙しくなっています。 そして、私たちは、あらゆる物事への忘却スピードを 加速させています。毎日の中で出会う物事、人のこと だけではなく、自分のことさえも忘れはじめている気がします。

だからこそ、今、冒頭の問いかけが必要なのです。

なぜ、働くのか?
―――――――
『心に火を。』

この本に登場してくる物語には

大きな成功談



深い失敗談

というものが

出てきません。

出てきたとしても

それについて

共感を得ようという

物語を語っている人の感情が

見受けられません。

つまり

日常にある

誰もが手に届きそうなお話。

この本を

読んでいて

日常

という存在を

一所懸命に

生きること

すなわち

心に火を

ぼわっと

つくこと

つけること

いや

ついていること

つき続けること

それが

人が生きる上で

美しい

瞬間であり

最高の瞬間なのだなぁ

と思いました。

この本には

素敵な

空気が流れています。

本を読み終えたとき

目の前には

大空と草原

そして

愛する何かが

感じ取れることと思います。

すべて

自分を成長させてくださる

先生なんですよね。

常に

そういった意識を持っていたいです。

有り難うございます。

修身。

死に方は決まっている。

あとは

身を修め

自身の在り方

を追及し

場を見つけ

それらで

何が僕であるかを

求め

生を燃焼させ

円環させ

自ら絶つのみ。

それ自体が

自ずから

訪れれば

悔いなし。

そして

このことを

人知れず

行う。

(ブログに書いている時点で、まだ認められたい欲求から放たれてないのだけれども。いつ
の日のか"粋"を目指し。)

病院から見える空を見ながら。

手術は無事終わりました。

有り難う、本当に有り難う。

手術。

大丈夫だと

わかっていても

手術は

心配になりますね。

良くなりますように。

2014年5月15日木曜日

そうそう、ひとつだけ決めていること。

僕には

ひとつだけ

決めていることがあります。

たぶん

それらしきことは

どこかに

書かれている

ことだけど。

それは

僕は僕の死ぬ瞬間を自分で決める。

ということ。

例え

それが

病気や事故であろうと

死ぬ瞬間を他に委ねることだけはしない。

自らの生の燃焼の終焉は

自らが決める。

それを

僕は決めています。

こう書くと

粋がっているようにみえるし

カッコつけているようにみえるけど

僕に

とって

一番重大な瞬間は

【生】と【死】の

境界線

なんです。

空が

夕日に

なっていくように

曖昧な【生】と【死】の

境目を

自らの意志で

断つ。

これしか

僕は出来ないから。


でも

このような覚悟のようなものは

先の日本人の多くは

持っていた。

その人たちの

根源に触れたとき

自然と

出てきた感情が

それ

でした。



それが

僕の中に

すとんと

落ちたとき

僕の中の

何かが

ぷつん

となりました。

綺麗に。


では

改めて

おやすみなさいZzz…

本当に強いものは…

「本当に強い人は いっぱい防御してない人、 すごくやわらかい人なんだよ」

この一文は

どこかで

見つけ

保存していたものです。

どこで見つけたのか

思い出せませんが

おそらくTwitterかFacebookだったと思います。



老子を思い出します。

いや

加島祥造さん訳の

老子を

思い出します。

という訳で




を今、読んでいます。

加島さんの創り出す

世界観

そして

その深淵にある

タオ

美しい

その一言につきます。


思うのですが

お釈迦様

キリスト

孔子

老子



そうですが

いわゆる

人々が求める

【答え】

というものは

既に出ていると思います。

しかし

あまりに

シンプルな故

難しい。

僕を含め

多くの普通の人は

それに

触れる機会すらない。

それらしい【答え】は

もう、ある。

あとは

感性がそれを

受け入れるか

それとも

肚に落ちるか

それだけです。

だからこそ

難しい。

そこから

ロジカルに

理会していけばいい。



最後に…


第三七章 静かな喜び

深い淵にいる魚のように
タオの働きは、静かで、
何もしないようにみえる。
しかし
つねに千変万化する働きで、
すべてを調整する。
何もしないようでいて
すべてを仕上げてゆく。

太古の王侯はこんな態度だったから
人民は自然でおだやかだった。
さまざまな欲望にかられないで、
余計な手出しをしなければ
素朴な生き方に帰って、
世は治まってゆくんだよ。

加島祥作 「老子」新訳 P90-91



そう在ることは難しいけれども

できないことはない。

時に忘れ

意識しながら

生を燃焼させたいZzz…

ぐるり、ぐるりと

『自分を保ったままで、自分の境界はしっかり保持したままで、違う次元の扉を開いてゆく。

これは

梨木香歩さんの

『ぐるりのこと』

という本に書かれている一文です。

この一文が書かれているのは

『境界を行き来する』

という章です。

そして

『内側からの視点にはいつも、外部からは想いもよらない世界観を突きつけられ、はっとすることが多い。

『人はいつでも、「個人の生と平行して、「時代の生」をも生きなくてはなりません。

『それは世界地図をきれいに色分けできるものではなく、本当は個人をそれぞれグループ分けするものでもなかった。溶け合うことなく「入り混ざって」いたものだった。

これも同じ本に書かれていて

『隠れたい場所』

という章にあります。

この本

この著者

僕の感覚に非常に近い。

もっといえば

僕の先をいっている。

言語化できない

(言語化する必要のない)

僕の感覚を

表現している。

しばらく

この本とともに

根源の世界に浸ろうと思います。


世界は変わらない。

坐禅

瞑想



していても

世界は

変わらない

しかし

己を通して見る

世界は

確実に

ゆらぎ

従来に戻ったり

少し踏み出したりしながら

移ろう。


だからこそ

自らを貫く

垂直なるものを

抱え

世界が変わることを

夢見て

変わらぬ

世界を生きていく

必要がある。


「世界」は変わらないが

確実に

「世界」は変わってゆく。

この矛盾を

受け入れることが

出来たとき

在り方が

円環する。



自らの思考を抜け出せぬ僕が

瞑想をしているとき

出てきた感情たち。

【ただ、坐る】

その一瞬の幅が広まっていくと

また

違うものが

見えるのかな。

2014年5月14日水曜日

トリツカレ男

今朝の投稿で

いしいしんじさんの

『トリツカレ男』について

触れました。

そうしたら



また

読みたくなってしまい

書店へGO

そして

買ってしまいました

『トリツカレ男』

まだ

第一章

しか読んでいないですが

やはり

ジュゼッペ

最高です。

何かに

とりつかれたと思われる男

ジュゼッペ

彼の

純粋な

世界



僕らが持っている

あの頃の

感覚を

思い出させてくれます。

良い本です。

満月前夜の夜は

この本を読み

レコメンを聴き

夢の世界へと

行きたいと思います。

おやすみなさい(-.-)Zzz・・・・

僕の好きなアイドル

それは

SexyZone

ジャニーズの5人グループ

僕は

いつからだろう…

去年の春頃

日テレで

ラブホリ王子様が

放送される

3,4ヶ月前からだと思う。

一人一人

個性的で

見ていて本当に

面白いし

惹かれます。

何といっても

見せ方が

上手い。

本当に。

Real Sexy/BAD BOYS

というシングルから

発売された

CD、DVDは

買わせていただいております。

ラジオも毎週聴かせていただいております。

何ていうのかな

とりあえず

見てほしい!

そんな感じです。


僕は

とくに

聡くん

に可能性を感じております。



きっと

いつの日か

今の

嵐的な

ポジションになると思います。

彼らが

創り出す

世界観

素晴らしいです。

憧れます。



今日はNEWシングルの発売日

安定の…

購入(笑)

F版を買ったのは

今春のコンサート

が収録されているからです(笑)


ぐるりのこと

この本を買ったのは

根津にある往来堂書店さん

確か

今年に入ってすぐのことだったと思います。

『ぐるりのこと』

という

タイトルが気になり買いました。

しかし

ページをめくっても

全く身が入らず

2ページほど

読んだだけで

僕の本棚へと

置かれました。

.

今日

目覚めると

いしいしんじさんの

『トリツカレ男』

の主人公

ジュゼッペが

ふと浮かんできました。

久しぶりに

『トリツカレ男』を

読もうと思い

本棚を

探しましたが

ありませんでした。

おそらく

誰かに貸したかプレゼントしたのでしょう

素敵な"愛"の本ですからね。

"愛は大切だよ"



よく言われますが

この本は

"愛の本質"を描いていると僕は思います。

.

さて、どうしよう



本棚を眺めていると

この『ぐるりのこと』が目に留まり

朝から少しずつ

読んでいるところです。
.

本は

準備が出来たとき

はじめて

その世界へ

本が自ら誘ってくれるのですね。

そのようなことを感じました。

感想はまたいつか書くと思います。

目次だけ

・向こう側とこちら側、そしてどちらでもない場所
・境界を行き来する
・隠れたい場所
・風の巡る場所
・大地へ
・目的に向かう
・群れの境界から
・物語を

今の僕にぴったりです。

素敵だなぁ、感じるものが僕よりも若いケースが増えてきた。

最近

「あ、素敵だなぁ」

「いいなぁ」

と思う作品や言葉を紡いだ人が

僕よりも

若い人

というケースが増えてきました。


僕も

負けてられないな

という気持ちと

今まで

僕は

一体

何をしていたのだろう

という

自分の至らなさを

痛感します。


たくさんのことを

これからも

先に生きる人たちから

吸収し

そして

同時代を生きる人たちからも

吸収し

何が自分であるかを

こねこねしていきたい。


次の世代のために

今の僕ができることを

やりつつ

次の世代に負けてられない

という

気概を持って

今日も一日

生きましょう〜!

2014年5月13日火曜日

僕にとってこのブログとは

今日は怒濤の勢いで

ブログを更新しました。

このブログを含めると7つ。

ブログは

色々な目的

意図のもと

たくさんの人が書いています。

僕もその一人です。

.

僕の場合

最近は

自分の感情を客観視する

そのための手段として

ブログを使っているように思われます。

.

今日1日ブログを書き

そして

それを見返して感じたことがあります。

人って色んな性質を持っているのだなぁ、と。

1日でこんなにも

文字から垣間見える人物像が

違うのかと

驚いています(笑)

やはり

人には

色んな感情、状態があるのだから

無理に「ポジティブ!ポジティブ!!」と

いくのではなく

「そういう感情があるのは仕方ない」

というある種の諦めみたいなものを抱き

その上で

「さて、どうこの現状と向き合おう」と

思う方が

楽だと思います。

無理にポジティブになるのではなく

必要以上にネガティブになるのではなく

その

2つを超えた次元からの

【ポジティブさ】を

意識したいです。

※以前紹介した【三性の理】

そういったことを

過去の自分であるブログの"自分"と

それを読んでいる今の"自分"から

把握していきたいっす。

これが今

僕がブログを続けている大きな理由です。

あとは

僕という存在がどういうものなのか

何が僕なのか



ブログを媒介として想像してほしい

という想いも少なからずあります。

それでは

おやすみなさい(-.-)Zzz・・・・

満月が近づいてきてますね。

今夜のお月さまも綺麗です!

きっと「大丈夫。」

きっと「大丈夫。」

という本を読みました。

お医者さんの体験から来るお話、エピソードは琴線に触れますね。

この本を読んでいて

自然と涙が溢れ

生きていることが

どんなに有り難いことか

再認識させていただきました。

松葉健司さんが書かれた『フライトゲーム』という本に




「当たり前」の反対は「有り難う」

という一文があります。

改めて

日々、一瞬一瞬が奇跡であることを感じたとともに

それを意識し続けることの困難さを感じました。

少しずつ

そう感じられる時間を増やしていきたいです。

最後にこの本を読んでいて

・『全感謝する練習』
・『他者のために生きる「自己中」のススメ』

を思い出しました。



この本たちも

日々の生活がいかに素晴らしいものであるか

を気付かせてくれるものです。

僕は本の力を借りて

日常を少しずつ動かしています。

あなたのシンボルはなにか

改めて

北山耕平さんの

『ネイティブ・マインド』

を読んでいます。

副題は

『アメリカ・インディアンの目で世界を見る』

表の帯には

『すべては何もないところからはじまる』

と書かれています。

何度目だろう、この本を読むのは。



今回は

【シンボルについて】

僕は

「HIROと呼んでください。」

と人に言う時があります。

ハワイ島に2月に行った際

ふと肚に落ちてきた言葉。

それが

HIRO

.

現地時間の2月14日

ここでの時間が僕の

HIRO

と繋がっています。




ピンぼけしてる(笑)


あるちょっとした洞窟で一人になり

思わず寝てしまった。



これはその洞窟からの景色。

僕はこの場所で寝てしまった。


あの時

きっと

何かに僕は包まれた。

そう、この空間は女神ペレのいた場所。


さて

ネイティブ・マインドには以下のような記述がある。

ヴィジョン・クエストをする人たちに向かって昔から言われ続けてきた言葉がある。それは「人が自分の力の場所を見つければ、その人の人生のなかでも自分の場所を見つけたことになる」というものだ。

ヴィジョン・クエストというのは伝統的には、その瞬間の自然とその人のある種の能力を重ね合わせた形でその人を呼ぶ、いわゆる「メディスン・ネーム」のもたらされる時のことである。

僕は本格的なヴィジョン・クエストというものをまだ体験したことがない。

ただ

間接的に

似たような経験をさせていただいたことが幾度かあります。

ハワイ島・火山での経験は

結果として

ヴィジョン・クエストの表層に僕自身の雫を落としたのだと思う。

2月14日に経験したこと

そして

先日の清泉寮。

きっとこの先

風がメディスン・ネームを

僕のもとへ運んできてくれると思う。

それはきっと

空と緑の香りを漂わせながら

やってくる。

それが

本当の僕だから。

空っぽな僕に吹き込む風

生きる力

信念



色んな表現の仕方があるけど

僕の場合

スゴくシンプルで。

ただひとつ

『取り戻したい』

という衝動のような感情があります。

ぽっかりと空いてしまった何かを

埋め合わせたいんだと思う。

それは

おそらく

小さい頃からずーっと今まで抱えていた

孤独感

から来ていて

多くの人が描く

ポジティブな世界からの感情ではないんです。

ある意味

僕を真に理解してくれる人なんて居ないんだ

という諦めみたいなもので。

でも

それは

自分の思い込みに過ぎないこともわかっているから

ややこしい人間。。

.

ずーっと独りぼっちで

ずーっと孤独とともに生きてきたくせに

僕は

寂しがり屋で目立ちたがり屋なんだけど

かなりの人見知りだから

いざ

他者の感情が僕に向けられると何もできなくなってしまう。

あたふたしてしまう。

だから

僕は今まで

人とは違う『選択』というものを通して

自分を確立させていた部分があって

そのことを

理会してくださる方に出逢えたのは

僕にとって

最高の救いなのかもしれない。

僕の見かけの行動の根源を見抜いている人

そんな人の在り方に憧れる。

.

僕は

空っぽの時間を埋め合わせたい

孤独を抱えながら人と深く繋がりたい

んだよね、結局。

そして

それをこの現実世界と繋げるために

自然体、ありのまま、等身大、ナチュラル

という在り方を僕は追求したい。

矛盾しているようにみえるけど

それでいいんだ。

僕のなかでそれは矛盾してないんだから。

でも

厳密にいえば

埋め合わせ

という表現も少し違う。

空っぽな何かに

今を注入させていって

反転させたい

この表現の方がしっくり来るなぁ。

たぶん

こっちの方が伝わらないけど。

.

自然体

そういう状態で常にいられるよう

僕にとって非日常というものを日常に散りばめ

それが常なるものになる日の到来を信じるしかない。


例え

そんな日が来なくとも信じ抜く。

夢や目標は

僕にとって

表現手段に過ぎないんですよね。

もちろん

夢や目標は

僕にもあるけど

それに支配されたくない

だけなのかも。

.........................

まとまりがない

ロジカルではない

のは

きっと

この文は

僕の深淵を覗いているからだと思う。

あと自分を見つめるために書いているからかも。


気持ちよく崩れ去った。

ボクはボクを支配できない

良い意味で

先日

ボクの世界は

終わりを告げた

即ち

始まりを告げた

.

何をせずとも

分裂する自己を

統合へと向けて

ただひたすら

歩んでいく

孤独な道程を

ただひたすら

それを抱えて

.

先達が信ずる

それを

ボクも信じようと思う

ボクはボクの根源を追求する

それ即ち

大いなる世界を追求することである

それ即ち

分断していく、されていく世界に顔を入れることでもある


それは

ただ在るのだから

実体を掴めずとも

在るのだから

そこに矛盾はない。

清里に行ってきた。〜変わらないために小さく…〜

『神楽坂のマリエ』

という本があります。

この本は

『ヤッさん』

というあるホームレスとそこに弟子入りした人が織り成す

粋な本です。

ちなみに

『神楽坂のマリエ』は第二弾で

第一弾が『ヤッさん』です。



この『神楽坂のマリエ』に出てくるあるエピソードを

先日、訪れた清里でしました。

それがタイトルにもなっている

「変わらないために小さく変わり続ける。」

です。

これはこの本に登場するあるラーメン屋さんの店主の言葉です。

僕はこの一文に触れ

軽いショックを感じました。

なぜなら

そのような見方を恥ずかしながら

今までしてこなかったから。

そうか

変わらない味

というものは

日々の微細な変化に合わせて

毎回毎回

小さな変化を加えなければ出来ないのか

ということを得ました。

これは

つまり

職人や師匠とされる人たちが

口にする

「基本ほど難しいものはない」

という精神と通じるものがあると思います。

.

基本というものを

自分の中に持つ

そのことの大切さを感じた

本でした。

そして

清里での時間も

そのようなもので

基本ほど

言い換えると

シンプルなものほど

難しく尊いものはない

と感じさせてもらえるものでした。

有り難いです。



今日も一日楽しく。