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2014年7月28日月曜日

ヴィジョン それは、己のすべて

前回、最後の葉書としましたが、、、

どうしてもこれだけは書き記しておきたく投稿。

僕は今、インディアンなるものにとても惹かれています。

それは

僕に在るもの

そして

僕が失ってしまったもの

僕が何故、この時代に生を受けたのか

何故、日本と形容されるこの土地に生まれたのか

己がこの命をかけ、探求すべきものは何なのか

奴隷となった僕らがかろうじて紡いでいるネイティブなるもの

それを紐解くひとつの道。

言葉、概念なんてどうでも良い。

しかし

人は言葉に依らなければ、難しい。

言葉は

力が強い故、誤ると

自らへとその刃を向ける。

言葉には

羽根がついていて

それが

あなたのもとへ飛んでゆく

そのようなもの

・・・

『大切なのは血ではなく生き方だ』

大いなる神秘は

その人にわかるように問いかける。

お前は誰だ

お前は何だ

何がお前だ

自然とは何か

地球とは何か

生とは、死とは何か



それは何処で語られるかわからない

しかし

何か重要なことが語られたことは“わかる”

・・・

今、僕がそれを語るには足りないことが多すぎる

前回の葉書でこのようなことを書きました。

【3年後のキミへ〜最後の葉書を贈ります〜Re-member】


ここに書かれていること

それが正しいかどうか、それはわからない

しかし、今この地点に在る僕にとり

違和感のない言葉が此処には書かれています。

何故、3年後なのか

何故、あのような表現なのか

たぶん、きっと…

・・・

全ては今、この瞬間の出来事

All my relations

自らに依り、その全ては経験によってのみ語られる

その孤独に、未熟さに、そして美しさに生くる

それでは

これにて

28 July,2014 風の香り。

2014年7月24日木曜日

【3年後のキミへ〜最後の葉書を贈ります〜Re-member】

今、僕がそれを語るには足りないことがいっぱい。

生きることそれ自体には

足りていないことなんて何ひとつなく

ものすごく満ち足りている
(吾唯足知)

けど

それを語るには足りないことが山ほどあるね。

仮にそれを『神秘』と名付けるならば
(ワカンタンカ)

僕は風になりたいな
(ミタクエオヤシン)

自分がどこに居るのか

そんなことはどうでもいいよ。

問われるのは『在り方』だよ。
(ヴィジョン・クエスト)

何かに追われているならば追われれば良いし

苦しいなら苦しめば良い
(自分を信じて)

笑いたいなら笑えば良いじゃん

それが自然体であるならば、きっと大丈夫。
(ソース)

もし少しでも“なんか違う”という感覚があるならば

僕らと共に

空を観よう
水に全てを委ねよう
火を媒介に語ろう
風の声を聴こう

いつか必ず、自然と身体が笑っている状態を掴めるから。
(インナーチャイルド)

自己の中にある矛盾を受け入れたとき

自分が、世界が完璧ではないことを悟り
(我知無知)

そして

世界が完璧であったことに気付くと思う。
(ワンネス)

その上で、ただ一人の人間として

普通にこの世界を生きていくことになるはずだから。
(スターチャイルド)

しかしその世界は今までとは明らかに何かが違う。

そう

キミにはもう頭がない。
(クリティカルポイント)

あるのは肚だ、その美しい肚だけがそこにある。

キミは肚で、ハートで全てを紡いでいるから
(タオ)

切り口は
禅でもインディアンでも陰陽五行でもタオでも神道でも縄文でも量子力学でも何でも良い。

なんでも良いけど

ただひとつ、ただひとつだけ。

【それでもあなたの道を行け】
(虹の戦士)

とにかく、ここで僕は終わらないし、終わらせない。
(シンギュラリティ)

最大の味方であり、超えなければならない最大の相手であるキミへ

Re-menber…再び出逢いましょう!
(ネオテニー)

All You Need Is Love...

24 July,2014 Hiro 森 大樹 

2014年6月29日日曜日

夢の住処は、鞄の中に

おはようございます(^^)

夢が現実感を伴っている日がここ2週間ほど続きます。

上手く言えないのだけど

なんか、、

夢が夢じゃないっていうか
夢は夢なんだけど・・・

夢の中でもうひとつ

別の人生、世界に身を置いているような感覚

以前のそれとの違いは

会話が、やり取りがとても具体的っていうこと
あと夢自体をよく覚えているっていうこと

今日起きた時に覚えている夢の一部、情景とフレーズ
・どこか旅をしている。ひとりではなく女の人とふたり
・その人をおんぶして歩いている
・祭り、露店の中を走ったりしている。何かを求めている
・小学校の友人が登場してくる
・大きいお風呂に浸かり、顔だけを出し、他の部分は水に委ねている
・何かから逃げている?誰かに追われている。
・見つかり、僕の生き方について今回見た夢で会話を交わした人たち、また過去人生において出逢った人たち、俳優の人たちが話している。生き方というか未来どう在るのかについて。
・「“ほにゃらら”は敵だ」というフレーズ
・「自分を信じて生きろ」というフレーズ
・誰かを守っている

“ほにゃらら”には

僕のひとつのアイデンティティなるものが入っています。

それが“敵だ”というところにはどういった意味が含まれているのか。。

おそらく想像するに

『重要なのは血ではなく生き方だ』ということではないかと。

ローリング・サンダーの言葉です、はい。


昨日は

午前中、スーパーの特売日ということで

数日前から広告を見て

ばあちゃんと「これとこれと…これ買おうね」という話をしていたものを

開店少し前にお店に行き、列に並び買いました。

主婦やってました。

その後、すぐにお出かけをし

夜10時過ぎに帰宅。

お風呂入って、色々してたらいつの間にか寝てて

日付が変わるその瞬間に、身体がブルブルってなって目覚めた。

あれ何だったんだろう。


昨日一日を通して

やはり、自分の在りたい姿を『保つ』ことの難しさを感じました。

目の前のことに追われ

瞬間の感情に支配され

今までの自分の習慣が浮上してくる。。

今までの自分を押し込めるのは難しいだろうから

在りたい姿を

習慣よりも上に浮上してくるようにしていければいいな。

もしくは

在りたい姿をいっぱい浮かび上がるようなことになればいいな!

今日も一日、心に笑顔を

2014年6月27日金曜日

【幻想に顕現する僕】

昨日は夜遅くに

油そば食べました

身体には重いってわかってるんだけど

たまに、食べたくなるんだよなぁ

油そばって

大学2年生の時、以来だったかも

たまに、っていうのは

夜遅くに、っていうところに


ときどき

絶望が僕を包み込むよ

いや

もしかしたら

絶望が僕を作っているんじゃないのか

っていうくらい

ネガティブになるよ

根暗の人見知りが僕ですからね


でも

僕には、色んな僕がいるから

根暗じゃない僕もいるんだよ

人見知りじゃない僕も・・・

うーん、いないかなぁ

それは


あるがままを生きる

って

自分を生きる

って

言葉にすると軽いようだけど

難しいね

何が

あるがままで

何が

自分か、って

誰にもわかんないし

でも

人は「完全」「一貫性」を求めるから

僕は疲れちゃうなぁ

もう『矛盾ばんざーい』って叫びたいな

宇宙の1%も知らない人類の

そのまた一人の人間の

小さな存在に真の「一貫性」を求めたって

それは

砂でできたオブジェだよ


あるがままを生きる

自分を生きる

それはね

きっと

【矛盾】を生きることだと思う

その【不条理】を受け入れ

【絶望】を抱え

【希望】を見出し

全てに【感謝】を抱き

そして全てを【手放す】


【手放す】っていうと

マイナスのイメージがするけど

本当の意味の【手放す】は

ものすごくポジティブらしいよ

この前、僕の尊敬する人たちがそう話しているのを聞いたんだ

本当の意味

っていう言葉が本当に正しいのかどうか、は

わからないけど、ね


ありきたりに終わらせると

世界は、僕が見たいようにそこに在る

かな

だから

僕らは幻想に現れるのさ

自然体に自分を生きよう

自分で在ろう

2014年5月28日水曜日

僕の高校時代。

夜、ひとりで色んなことに触れていると
どうしても気持ちが落ちてしまう。

みんなの輪の中に入れなかったし
入りたいという気持ちがわかなかったあの頃

正直いって
高校の同級生で僕のことを覚えている人なんて
ほんの一握りだと思う。

どう人と会話して良いかわからなかったし
どうやって笑ったら良いのかわからなかった。

ただ、学校に行き、家に帰る日々。
部活は2週間も行かずに幽霊部員。
お昼は一人で食べることが多かったなぁ。

何かに熱中したという思い出がない。
みんな「あの頃に戻りたい」というけれど
僕には「あの頃」というものがない。
【青春】というものが抜け落ちている。

人前で歌うことも出来ないし
現代文の文章を読み上げるだけで緊張する。
ましてや、人の輪に自ら入っていくことなんで出来ない。

卒業アルバムに載せる写真がなかったので
わざわざ写真屋さんに楽しそうにしている写真を撮ってもらったくらい。

僕はもともと根が暗くて人見知り。
話しかけられてもろくに返事も出来ない。

「友達と遊ぶ」
というごく普通の高校生活を送ることがほとんどなかった。

人がたくさんいるとどうしてよいかわからなくなる。
わからなくなるから、あえて反対側を選んだり
クールなキャラクターを演じてみたり。

僕はずーっと
「森君」って呼ばれ続けてきた。
中にはあだ名や呼び捨てで呼んでくれる人もいたけど
僕が仲が良いと思っていた人でさえ
僕のことを「森君」と呼んでいた。

きっと、僕はたくさんの人に気を遣わせていたのだろう。
「森君」と呼ばれ続けた僕は苦しかった。
なんで僕だけ「君」って呼ばれなきゃいけないんだろう…と。

過去はもうやり直せない。
昔は高校時代をやり直したいとか思っていたけど
今はもう、そのようなことを思っていない。

ただ…学生の人には言いたい。
悔いが残らないといことはないかもしれないけど
悔いのない学生生活を送ってほしい。
二度とないその青春を。
今という時間を精一杯生きてほしい。

今、高校時代を振り返ってみてどう思うか。
と問われたら、どう答えるのだろう…。

わからないなぁ。複雑。
あの頃があったから僕は今、僕の世界を信じることが出来ているのだろうし。
でも、、、ほんのちょっとだけでいいから
【高校生】という時間を味わいたかったなぁ。

人の輪に入れなかったという経験が
僕の中で【無視】という存在としてある。
それが今の僕の世界観に繋がっていると思う。

疎外感という感覚は本当に虚しい。

おやすみなさいZzz…

2014年5月26日月曜日

『一見』という言葉から、生きることについて少し考えてみた。

今朝、読んでいた本に

『一見すると…』という記述がありました。

その言葉が、今日はなぜか心に残り

そこから

考えをぐるぐると巡らせました。

その過程をメモしたので

それを書きます。

===============

『一見』

この言葉がどこでどのようにして生まれたのか僕は知らない。
ただ…『一見』という概念を、言葉にした人の感性に深く深く尊敬の念を抱く。

そう、物事は、世界は「一見すると…○○のようだ。」ということに満ちている。
この『一見』の先にある“何か”について、思考をめぐらせる人、めぐらせている人
そういった人が、きっとこの世の中に新たな価値、世界の見方を提示していくのだろう。

人間のエゴ、お金という指標、正義という悪魔により進歩してきた現代。
その現代社会において生まれた問題を解決、解消する手だてはどこにあるのだろうか。
色々なやり方があると思うが、僕は“根源”というものが
ひとつのキーワードになってくると思う。

その“根源”という問いを自らに向ける。

“根源”とは『一見』の先にあるもの。
『一見』という皮の下に漂っているもの。

“根源”は“そもそも”という言葉で言い換えることもできる。
そして“根源”へと続く道のりは“進化”とも言えるだろう。

ここで『進歩』と“進化”の違いについて少し共有します。


以前、ブログにも載せた画像です。

『進歩』とは人間の意図により歩む道
それは“自然の法則”に沿わない道でもある。
しかし、便利で効率的な道でもある。


今、これからの時代に求められる道程の切り口は
おそらく“根源”、“そもそも”、“退歩”
そして“自然法則”であると思う。

だからこそ、今、僕は自身の“在り方”というものに
目の前の人の“在り方”というものに
先達の“在り方”に興味がある。

“在り方”は自らの意志のようなもの。
“生き方”は他者からみたその人の“在り方”のかたち。
と僕は定義と言ったら強いけど、そう理解している。

○●今、僕が興味あるもの○●
・初期仏教
・先住民の世界観、哲学
・陰陽五行
・禅、武士道
・アミニズム
・旧暦
・三島由紀夫
・自然
・発酵
・言葉
・パーマカルチャー

その上で
自分が世界をどう見るのか、見ているのかを知り
どういった視点で世界を見ていくのかを選択すればいい。

「押しつけ」は対立を生む。
例え、その「押しつけ」が真実であろうと。

自らの頭で考えていけば、自ずと“それ”はやってくる。

“矛盾”を抱え、“孤独”を抱き、その上で人と関わり
自らの世界を“在り方”を通して形作っていけば良いと思う。

もちろん、夢から“生きる”ことも良いと思う。
けど、僕は“在り方”からの生き方を選ぶ。

○●今、僕が興味のある言葉○●
・矛盾
・孤独
・「自ら」と「自ずから」
・諦め
・希望
・情熱
・退歩
・進化
・根源

===============

こんな感じです。
メモを若干読みやすいように変えていますが
語感はそんなに変わっていないと思います。

ここに書かれたメモを僕自身
もう少し深く見つめてみたいと思います。

2014年5月20日火曜日

突きつけられる現実

世界というものに対し

様々な解釈が出来る。

世界は3次元である。

世界は3次元を超える。

平行世界がある。

世界は自分が作っている。

人は自分の望む世界しか見ることができない。

運命のもと生きるしかない。

宿命を抱え生きる。

世界は愛に溢れている。

世界は絶望に満ちている。

世界の本質はゆらぎである。

そのどれもが

僕は正しいと思う。

その上で叫びたい。

僕が生きるのは

今、この瞬間である

と。



毎日

お見舞いに行っていると

本当に色んなことを考える。

僕は

おばあちゃん子だ。


小さい頃

とある理由で

僕は祖父母に育てられた。


現実というものは

現実であり虚構でもある。

しかし

改めて言う。

僕が真に生きる場は

この世界である、と。

同時に僕は僕自身の世界を生きているけど

今は

この世界というものを

深く深く噛み締めたい。



小さい頃の

学生時代の

深い喪失感

孤独を思い出すと

今でも

刃物を自分へ向けたくなる。


あの日

僕は

死ぬことが出来なかった。

生きたいから生きているという感覚は

最近までなかった。

ただ僕は死ななかっただけだ。

死ねなかっただけだ。

自分を傷付けることの愚かさ

死ぬことから逃げたことに対するやりきれなさ

僕は人が思うほど

強くない。


今でもたまに

あの頃の感情が僕を苦しめる。

それでも

僕は生きようと思う。

人は温かい。

有り難い。

嫉妬したりしちゃうけど

その人たちがいなければ

僕は生きることを放棄していた。


だから

本当に本当に

感謝している。



病院の雰囲気が僕は怖い。

それでも

僕は毎日通う。

僕にとって



生きるとは

そういうことだ。

思考の外の自分にとって生きるとは

根源からの欲求とは

そういうことだ。

2014年5月16日金曜日

修身。

死に方は決まっている。

あとは

身を修め

自身の在り方

を追及し

場を見つけ

それらで

何が僕であるかを

求め

生を燃焼させ

円環させ

自ら絶つのみ。

それ自体が

自ずから

訪れれば

悔いなし。

そして

このことを

人知れず

行う。

(ブログに書いている時点で、まだ認められたい欲求から放たれてないのだけれども。いつ
の日のか"粋"を目指し。)

病院から見える空を見ながら。

手術は無事終わりました。

有り難う、本当に有り難う。

2014年5月15日木曜日

そうそう、ひとつだけ決めていること。

僕には

ひとつだけ

決めていることがあります。

たぶん

それらしきことは

どこかに

書かれている

ことだけど。

それは

僕は僕の死ぬ瞬間を自分で決める。

ということ。

例え

それが

病気や事故であろうと

死ぬ瞬間を他に委ねることだけはしない。

自らの生の燃焼の終焉は

自らが決める。

それを

僕は決めています。

こう書くと

粋がっているようにみえるし

カッコつけているようにみえるけど

僕に

とって

一番重大な瞬間は

【生】と【死】の

境界線

なんです。

空が

夕日に

なっていくように

曖昧な【生】と【死】の

境目を

自らの意志で

断つ。

これしか

僕は出来ないから。


でも

このような覚悟のようなものは

先の日本人の多くは

持っていた。

その人たちの

根源に触れたとき

自然と

出てきた感情が

それ

でした。



それが

僕の中に

すとんと

落ちたとき

僕の中の

何かが

ぷつん

となりました。

綺麗に。


では

改めて

おやすみなさいZzz…

2014年5月13日火曜日

あなたのシンボルはなにか

改めて

北山耕平さんの

『ネイティブ・マインド』

を読んでいます。

副題は

『アメリカ・インディアンの目で世界を見る』

表の帯には

『すべては何もないところからはじまる』

と書かれています。

何度目だろう、この本を読むのは。



今回は

【シンボルについて】

僕は

「HIROと呼んでください。」

と人に言う時があります。

ハワイ島に2月に行った際

ふと肚に落ちてきた言葉。

それが

HIRO

.

現地時間の2月14日

ここでの時間が僕の

HIRO

と繋がっています。




ピンぼけしてる(笑)


あるちょっとした洞窟で一人になり

思わず寝てしまった。



これはその洞窟からの景色。

僕はこの場所で寝てしまった。


あの時

きっと

何かに僕は包まれた。

そう、この空間は女神ペレのいた場所。


さて

ネイティブ・マインドには以下のような記述がある。

ヴィジョン・クエストをする人たちに向かって昔から言われ続けてきた言葉がある。それは「人が自分の力の場所を見つければ、その人の人生のなかでも自分の場所を見つけたことになる」というものだ。

ヴィジョン・クエストというのは伝統的には、その瞬間の自然とその人のある種の能力を重ね合わせた形でその人を呼ぶ、いわゆる「メディスン・ネーム」のもたらされる時のことである。

僕は本格的なヴィジョン・クエストというものをまだ体験したことがない。

ただ

間接的に

似たような経験をさせていただいたことが幾度かあります。

ハワイ島・火山での経験は

結果として

ヴィジョン・クエストの表層に僕自身の雫を落としたのだと思う。

2月14日に経験したこと

そして

先日の清泉寮。

きっとこの先

風がメディスン・ネームを

僕のもとへ運んできてくれると思う。

それはきっと

空と緑の香りを漂わせながら

やってくる。

それが

本当の僕だから。

清里に行ってきた。〜火は素敵〜

先日

機会をいただき、清里に行ってきました。

初めての場所でしたが

とても良い空間で、一瞬で惚れてしまいました。


清里で改めて感じましたが

僕は

やはり

自然が大好きです。

色んなものが【かいほう】されます。


さて

この【かいほう】にどのような漢字を当てましたか?

僕は

この【開放】をイメージしました。

清里でも

【かいほう】というと

【解放】と【開放】をイメージする人がいる

と話しました。

僕にとって

前者は

削ぎ落していくイメージで

後者は

中から生まれてくるイメージです。

サナギが蝶になるイメージです。

僕は

自然に触れると

【開放】されます。

もちろん宇宙的視点に立てば

人工物も自然なんですが

日常ではそこまで意識しないので

この場合の自然は

一般的な「自然」です。






とても気持ちのよい空間でした。

このような非日常を日常に散りばめつつ

日々生きていきたいなぁ。


そしてそして

今回は

お願いをして

火を囲んでの対話を設けていただきました。

有り難いです。



毎回

思うのですが

火って

スゴいと思います。

神聖というか…。

火を見ているだけで癒されますし

火が創り出す空間では

深く深く人に触れることが出来ます。

人と対話しているのに

自分と対話しているような感覚を

味わえます。

本当に火は偉大です。

対話の深度によっては

火は同調してくれます。

励ましてくれます。

勇気をもらえます。

有り難う。

僕は

特に

火が

都会の夜景のようになる瞬間

そして

話とリンクしてくる瞬間



好きです。

でもやっぱ

人と話しているのに

自分と話をしているような感覚になる瞬間が好きかな。

2014年5月7日水曜日

ありのままで

ありのまま

それは

意識してしまうと

小さな波を立てて消え行くもの

だからこそ

僕は

ありのまま

を目指したい

非日常を意識し

それが

常なるものとなる日まで

永久に叶わぬ儚くも力強く燃える灯火

2014年5月4日日曜日

ありのまま

「ありのままで〜」

という言葉を

最近よく目にします。



「ありのまま」

というものは

僕が大切にしている言葉です。


この言葉の

素晴らしいところは

それを

意識した瞬間

【ありのまま】というものが

崩れさってしまう

ということでしょうか


つまり

意識した瞬間すでに

ナチュラル

ではないものに

なってしまう。


だからこそ

僕は

「ありのまま」を

大切な言葉のひとつとして

これからも

抱えて生きていきたい。


ありのまま、自然体、等身大

2014年4月1日火曜日

この世界に腐らないものって存在するのだろうか。。

人は

生まれ死ぬ

動物は

生まれ死ぬ

植物は

生まれ死ぬ

作品は

作られ壊れていく

でも

お金は腐らない

ねぇ

どうして。


時々、わけがわからなくなる

お金って人が生きていく上で

本当に必要なものなのだろうか


お金って

一体何なのだろう

いつからこんなにも

大きな存在になってしまったのだろう


「生きていく上でお金は必要だよ」

本当に

お金がないと生きていけないのかな


わからないけど

たぶん、人が生きていく上で

必要なお金って

人が思うより

少ないと思う


脱お金

を望んでいるわけではない

ただ

一度立ち止まって

逆から

眺めてみてほしい


お金は腐らないもの?

2014年3月18日火曜日

時間を自らの手に 〜ムーブメント アンド メジャー〜

【時間】

明治以降に「時間」という言葉が生まれたと聞いたことがあります。

それまでは


「時」と「間」は別のことを指していたらしいです。



簡単にいうと

「時」は竹でいう『節目』

「間」は竹でいう「節目」と「節目」の『間』


暦というものは


権力の象徴ですもあります。


時間を手にするということは


直接的にも間接的にも


人を「動かす」ことが出来ますからね。


良い意味でも悪い意味でも。





今年は日本が西暦に移行して141年目。
141年前まで日本はヘリオセントリック(太陽中心)

広く世の中に浸透している暦は



グレゴリオ暦というカトリックの暦です。
140年前から日本はジオセントリック(地球中心、自分中心)

今の社会システムの根底にはこのグレゴリオ暦があります。



どちらの暦が良いか悪いかそれはわかりません。

時間の刻み方、方向性、どう動きを計るかその違いに過ぎないし

一人一人好きなものを選択すればいいし。

ただひとつ言えることは

今広く使われている暦は

自然のリズムと乖離があるということですかね。



僕は旧暦が好きかなぁ。

季節を感じることが出来るから。

2013年12月20日金曜日

宮沢賢治の世界。

こんばんは〜。

今、僕は大阪にいます。


今日の夜、とある方のポエトリーリーディング

『農民芸術概論綱要』

という宮沢賢治の作品を初めて知りました。

彼の作品は

銀河鉄道の夜
注文の多い料理店
クランボン

くらいしか知りません。


では、今日出逢った

『農民芸術概論綱要』の一部を…


世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

(http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html より抜粋)


80年ほど前に宮沢賢治が綴ったもの。

だけど、今に通ずると僕は思います。

彼がどういった人だったのか、どのような観点で物事を捉えていたのか

調べてないのでわからないです。

わからないけど、何か好き。

彼の世界観が好き

僕は好きです。





ポエトリーリーディングの余韻に浸りながら

宮沢賢治を媒体に

「在り方」について少し考えてる。。



「何が本質か」それは立場によって違う。

本当は同じはずなんだけど違う。

だからこそ、今自分がどこにいるのか、何者なのかを把握することが大切だと思う。

この現実世界で生きていくためには。

「今、どこにいるのか」



その問いは自らの在り方に繋がり、その在り方がやり方、場を選択する。

もちろん場から自らの在り方へという流れもあるけど、僕には在り方からが良い気がする。

いくら場が素晴らしくても在り方がなければ、僕は場に洗脳されてしまう。。

染まっちゃう。



とにかく

宮沢賢治さんは僕の世界観を広げそうです。

感謝。有り難うございます。

2013年10月27日日曜日

全てを知ることなんて出来ないからこそ。


今年出逢った人に

ミヒャエル・エンデというドイツ人がいます。

彼は児童文学作家です。

『モモ』という本が日本では一番有名です。

僕は彼の思想が大好きです。

——なぜ、好きなのか——

それは

僕の在りたい姿と僕の抱く感情を言語化しているからです。

だから

僕にとって彼はひとつの方向性です。

彼は僕にとって学ぶべき作品であり、いずれ超えなければならないものです。



エンデについて語り出すと止まらなくなるので

またいつか機会が来たら、少しずつアウトプットしていきたい。


この記事の表題は

『全てを知ることなんて出来ないからこそ。』




まず——『全て』について——

僕はこの世界の1%もわかっていません。

全てを知ることなんて出来ません。

けど、僕はその全てを知りたいと願っています。

おそらくそれは僕の中の暴力性がそうさせているのだと思います。

支配欲求ともいえる感情です。

この世の全てを知ったところできっとその満足感は一時的なものだと思います。

けど、僕は『全て』を知りたいのです。


——なぜ、『全てを知りたいのか』——

それは、この世界の『真実』を知りたいから。

この世界がどうなっているのか。

なぜ僕は生まれたのか。

死んだらどうなるのか。

なぜ人は対立するのか。

愛するのか。

生きるとは何か。

死ぬとは何か。

それを知りたい。

だから僕は『全てを知りたい』


けど、現実的に全てを知ることなんて不可能です。

時間は有限だし、どんどんどんどん学問が細分化されてるし…

新しいものが生み出されていってるし(完全なオリジナルはないと思ってるけど)

色んなものが発見されてるし、昔から語り継がれているものはいくらでもあるし。



今、全世界で約1億3000万種類の書籍が存在しているらしい。

それは何千年前のものから今、販売されたものまで全て含めて。

僕は読書が好きでおそらく年間80-100冊は読んできたと思います。

仮に今から

年120-150冊、それを40年間続けたとする。

そうすると40年後、僕は

5,000-6,000冊読めます。

けど…

それは全体の1%に過ぎません。

『全てを知る』ということと少しズレていますが

僕は全てを読むことは出来ない。

だからこそ

語り継がれてきたものを大切にしたい。

それが正しいとは限らないけど

きっと、より人間の本質に近いものがそこにあるから。

新しいものを吸収し、語り継がれてきたものも吸収したい。


知識を吸収することも大切だけど

その根底にあるもの

つまり

『真理』『思想』『観点』等

探求したい。

全てを知ることは出来ないからこそ

その判断基準や思想を通し

この世界の『真実』と思われるものを見つめたい。

自分の不完全性を認めることから始めたい。

2013年10月10日木曜日

僕を構成している本たち

読書の秋。

【僕の大好きな本 5撰】
・『生くる』執行 草舟
・『仏教新論』森 政弘
・『メメント・モリ』藤原 新也
・『手紙屋~僕の就職活動を変えた十通の手紙~』喜多川 泰
・『道をひらく』松下 幸之助

【表現に憧れる編・エッセイ】
・『そして生活はつづく』星野 源
・『東京百景』又吉 直樹
・『旅の窓』沢木 耕太郎
・『新編宮沢賢治詩集』宮沢 賢治

【惹かれた編・自伝】
・『福翁自伝』福沢 諭吉
・『ボクの彼氏はどこにいる?』石川 大我
・『チャップリン自伝』チャップリン
・『こんな僕でも社長になれた』家入 一真

【ドキドキする人生編・小説】
・『トリツカレ男』いしい しんじ
・『アミ 小さな宇宙人』エンリケ バリオス
・『容疑者Xの献身』東野 圭吾
・『ライフトラベラー』喜多川 泰
・『瑠璃色の涙』泉 ウタマロ
・『イニシエーション・ラブ』乾 くるみ
・『パラレルワールドラブストーリー』東野 圭吾

【その考え方ステキ編・思想】
・『五輪書』宮本 武蔵
・『イーグルに訊け』天外 伺朗、衛藤 信之
・『未来を予見する5つの法則』田坂 広志
・『諦める力』為末 大
・『老師と少年』南 直哉
・『孤独のチカラ』斉藤 孝
・『問題は「タコつぼ」ではなく「タコ」だった!?』友成 真一
・『独立国家の作り方』坂口 恭平
・『お金が教えてくれること』家入 一真

【このスタンス憧れる編・自己啓発】
・『幻年時代』坂口 恭平
・『未来を拓く君たちへ』田坂 広志
・『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと 』四角 大輔
・『一歩を越える勇気』栗城 史多
・『常識を疑うことから始めよう』ひすい こたろう、石井 しおり
・『減速して生きる』高坂 勝

【死ぬということ、生きるということ・編】
・『いつまでも、いつまでもお元気で』知覧特攻平和会館
・『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』井村 和清
・『たとえ明日世界が滅びようとも』藤原 新也
・『人生の成功とは何か』田坂 広志
・『恐山』南 直哉
・『夜と霧』ヴィクトール フランクル

【テレ東でたまに特集するようなテーマ編・オカルト】
・『それは“在る”』ヘルメス・J・シャンブ
・『未来は選べる!』バシャール、本田 健
・『あの世に聞いた、この世の仕組み』雲 黒斎
・『アナスタシア 』ウラジーミル メグレ

【写真集編】
・『Walkabout』竹沢 うるま

【絵本編】
・『ひとりごと絵本』100%ORANGE
・『ある日、犬の国から手紙が来て』
・『「たからもの」って何ですか』伊勢 華子

【よくわかんないけど好き編】
・『職業治験』八雲 星次
・『遊んで暮らす コレジャナイ仕事術』ザリガニワークス

【浪漫があるねぇ編・科学】
・『単純な脳、複雑な私』池谷 裕二
・『宇宙授業』中川 人司
・『「つながり」の進化生物学』岡ノ谷 一夫
・『進化しすぎた脳』池谷 裕二

おそらく、今の僕の頭の中はこの子たちで溢れています(^^)