本を読む。
なぜ、僕は読書をするのだろう。
正直言って
この問いに正解があるのか
わからない。
わからないけど
僕はこれからも本を読み続けます
きっと。
著者との対話
自分との対話
そして
本を媒体とした
他者との対話
読めば読むほど味が出る本
毎回同じところで感動する本
気付きが毎度違う本
思わず人に渡したくなっちゃう本
僕は本の何に惹かれるのだろう。
ここで
.
にある読書論の一部を共有します。
第一義
読書を通じて文化の先達と自己との魂の対話を行なう
第二義
狭小なる自己を超越するために、先人たちが如何にして生き、如何にして死したかを知る
第三義
自己の存在の根源としての先人たちの英知を学び、それを自己に有用に用いる
第四義
自己に内在する活力と使命を自覚するために読む
自己の人生の限りなき応援者としての先人を選び、その先人と自己とが友人となることが重要
第五義
先人たちの残した良書を読むことにより、その知恵や労苦、喜びや悲しみを自己を媒介として子孫に伝達する
いやー
執行草舟さん
シビれます。
この章を読んでから
僕は
本の読み方が変わりました。
今までは
ただ
書かれている内容をただただ吸収、消化していました。
なので
どちらかというと
「読むことをこなす」ような読み方です。
しかし
今は
対話を心がけ
著者の想いを求めています。
そして
そこから
自分の頭で、肚で考えることを意識しています。
「聴く。考える。実践する。繰り返す。見つめる。」ような読み方です。
誰かの言葉の受け売りをしていた過去の僕
誰かの言葉を話すことは、楽だし、納得するし、もっともらしいし。
確かに
そのようなことが求められる《瞬間》があると思います。
けど
やはり
それだけでは
《自分》というものがどこかにいってしまう気がして僕は寂しいです。
というか勿体ないような気がします。
坂口恭平さんが先日このようなことをTwitterで呟いていました。
ー分裂していない人間は操作しやすいのである。社会制度としてお金がなくなると生きていけなくなると仕込めばそれで奴隷完了だからだ。しかし本来、分裂していない人間など一人もいないのである。分裂しているからこそ、自らを統合しようと「思考」を促すのだから。分裂のない統合はただの思考停止であるー
自分なりに
考え、そして行動し
その過程を通じて
誰かの言葉や経験、体験、思考を
自分の経験、体験、思考などを
自分の言葉にしていく、言葉を紡ぎ出していく。
そういったことが
僕は大切だと思います。
なぜ僕は本を読むのか
それは
自己という存在と向き合い、自身の命を自分で燃やしていくため
じゃないかな
今はそんな気がします。
0 件のコメント:
コメントを投稿