世界というものに対し
様々な解釈が出来る。
世界は3次元である。
世界は3次元を超える。
平行世界がある。
世界は自分が作っている。
人は自分の望む世界しか見ることができない。
運命のもと生きるしかない。
宿命を抱え生きる。
世界は愛に溢れている。
世界は絶望に満ちている。
世界の本質はゆらぎである。
そのどれもが
僕は正しいと思う。
その上で叫びたい。
僕が生きるのは
今、この瞬間である
と。
毎日
お見舞いに行っていると
本当に色んなことを考える。
僕は
おばあちゃん子だ。
小さい頃
とある理由で
僕は祖父母に育てられた。
現実というものは
現実であり虚構でもある。
しかし
改めて言う。
僕が真に生きる場は
この世界である、と。
同時に僕は僕自身の世界を生きているけど
今は
この世界というものを
深く深く噛み締めたい。
小さい頃の
学生時代の
深い喪失感
孤独を思い出すと
今でも
刃物を自分へ向けたくなる。
あの日
僕は
死ぬことが出来なかった。
生きたいから生きているという感覚は
最近までなかった。
ただ僕は死ななかっただけだ。
死ねなかっただけだ。
自分を傷付けることの愚かさ
死ぬことから逃げたことに対するやりきれなさ
僕は人が思うほど
強くない。
今でもたまに
あの頃の感情が僕を苦しめる。
それでも
僕は生きようと思う。
人は温かい。
有り難い。
嫉妬したりしちゃうけど
その人たちがいなければ
僕は生きることを放棄していた。
だから
本当に本当に
感謝している。
病院の雰囲気が僕は怖い。
それでも
僕は毎日通う。
僕にとって
今
生きるとは
そういうことだ。
思考の外の自分にとって生きるとは
根源からの欲求とは
そういうことだ。
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